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2017年12月23日 (土)

人々はしるしを欲しがる(マタイ12章)

今回はマタイの福音書第12章38から42節を読みます。

共観福音書の並行個所はマルコの福音書8章11節から12節、ルカの福音書11章29節から32節です。
マタイの福音書6章に同じ副題の個所がありますね。ここでは12章を読みます。

マタイの福音書12章

●38節.すると、何人かの律法学者とファリサイ派の人々がイエスに、「先生、しるしを見せてください」と言った。

イエスの働きが神の霊によるものであるという主張に対して、イエスを敵視する律法学者とフワリサイ派の人々からその「しるし」(確かな証拠)を見せてくれと言う要求がなされたのでしょう。そこからこの話が始まります。

確かな証拠を見せてほしいと言うことは、誰が見てもはっきりそれと分かる客観的な目に見える証拠を出しなさい、と要求していることになります。

マルコでは、第8章12節で「イエスは、心の中で深く嘆いて言われた。「どうして、今の時代の者たちはしるしを欲しがるのだろう。はっきり言っておく。今の時代の者たちには、決してしるしは与えられない。」ときっぱりと断られています。

●39節.イエスはお答えになった。「よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。

●40節.つまり、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、大地の中にいることになる。

ヨナのしるしとは、旧約聖書ヨナ書第2章1節「さて、主は巨大な魚に命じて、ヨナを呑み込ませられた。ヨナは三日三晩魚の腹の中にいた。ヨナは魚の腹の中から自分の神、主に祈りをささげて、言った。・・主が命じられると、魚はヨナを陸地に吐き出した。」です。

この出来事は、イエスの死と三日後の復活を意味すると言われたのでしょう。

「預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。」(39節)ですから、その意味するところは、イエスの復活こそ最大のしるしであって、イエスの復活を信じない者には、それ以外のいかなるしるしも与えられない、つまり、復活を信じない人はどのようなしるしを示しても信じないということでしょう。

こうしてイエスは要求をはねつけられました。

しかし、話が矛盾していますね。

このときにはまだイエスの死と復活は実現していないので、イエスの話を聞いている人はこれだけでは何のことかさっぱりわからなかったと思うのです。

だからこの箇所は、イエスの死と復活を預言していることになるのですが、そうすると、預言を語られた時はそれが何を意味するかわからないが、その預言が実現した時に初めてその意味が理解できるということで、預言とはそういうものだということでしょう。

●41節.ニネベの人たちは裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。ニネベの人々は、ヨナの説教を聞いて悔い改めたからである。ここに、ヨナにまさるものがある。

イエスがここで何を言おうとされているのか、それは、「ニネベの人々[異邦人=ユダヤ人以外の人]は、ヨナの説教を聞いて悔い改めたから(ヨナ書3章10節)救われたが、「ヨナにまさるもの」(キリスト)が来ている今、神の民であるイスラエルは本来異邦人であるニネベの人々以上にこの事態を知り、ただちにキリストの福音に聴き従って悔い改めるべきであるのに悔い改めようとしない。

あなたたちは神の民で律法を守っているので既に救われていると思っているが、裁きの時にはニネベの人々が救われていることを知りあなたたちが間違っていたことが明らかになり、地団太踏んで悔しがることになる、ということでしょうか。

なお、ここでイエスは律法学者とファリサイ派の人々に語っておられるのですが、その人たちはイスラエルを代表するととらえて、イスラエル全体に語っておられるのだと思います。

●42節.また、南の国の女王は裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。この女王はソロモンの知恵を聞くために、地の果てから来たからである。ここに、ソロモンにまさるものがある。」
ここの「南の女王」の物語も同じだと思います。

ソロモン王朝のとき、シェバから女王(異邦人)が知恵を伺うため、はるばるイスラエルまで来ました。

それゆえ、彼女も救われたが、今イスラエルの知恵を代表する「ソロモンにまさるもの」(キリスト)が来ているのに神に選ばれたイスラエルは南の国の異邦人である女王以上に、ただちにこのキリストの言葉に聞き従って悔い改めるべき時であるのに悔い改めようとしない。・・以降41節に同じです。

このように著者マタイはキリストが既に来た「今の時代」(この福音書を著している時代の人々)に訴えているのだと思います。

なお、ヨナの話では、このような神の恵み(罪からの救い)が、終末における悔い改めと裁きの話として書かれていますが、南の女王の話では、イスラエルの御霊の知恵の働きとされています。

たとえば、律法学者らがイエスに求めたしるしは目に見えますから、誰にでもわかりやすいので、人々が集まりますし、感謝もされます。

でもこれでは目に見えるものに心を奪われて、背後にあるイエスの御霊の働きを見失う恐れがあります。

ですから、南の女王が悟ったソロモンの霊的な知恵、ニネベの人たちが悟った御霊の働きから来る罪への恐れ、こういう霊的な知恵と御霊の働きは人間の力ではどうにもならないところがあります。

見える現象ばかりを追い求めていると、こういう大事なものを見失ってしまう、ということを言おうとされたのだと思います。

なお、三つの福音書の並行個所を比べてみると、マルコの福音書には「しるしが与えられない」とあり、ルカの福音書には「ヨナのしるしのほかには与えられない」とあり、マタイの福音書には「「ヨナが三日三晩大魚の腹にいた」のと同じしるしが与えられる」とあります。

ここで共通することは、イエスの言葉を信じないで見える証拠を求める人にはしるしは与えられない。けれどもイエスの言葉を信じる者にはヨナのしるしが与えられるということです。

ヨナのしるしは、「ソロモンにまさるもの」のことですから、イエスご自身の存在のことを指し、それがイエスの死と復活の「しるし」であることは、ナザレのイエスが三日三晩墓の中におられてから復活されたことで分かると言うことでしょう。

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