洗礼者ヨハネとイエス(2)(マタイ11章)
今回は聖書の副題「洗礼者ヨハネとイエス」の後半、マタイの福音書第11章7~19節後半を読みます。
共観福音書の並行個所は、ルカの福音書第7章18~35節です。
マタイの福音書第11章
●7節.ヨハネの弟子たちが帰ると、イエスは群衆にヨハネについて話し始められた。
「あなたがたは、何を見に荒れ野へ行ったのか。風にそよぐ葦か。
●8節.では、何を見に行ったのか。しなやかな服を着た人か。しなやかな服を着た人なら王宮にいる。
洗礼者ヨハネの弟子たちが帰ると、イエスは群衆に洗礼者ヨハネについて話し始められました(7~15節)。
荒れ野でイスラエルの民が出会った毛衣を着た人物は、しなやかな服を着た王宮の人でもなく、つまり、特権階級である、権力を誇り、富を力で集め王宮で贅沢に暮らす人でもない。
そういう人とは正反対で、毛皮を着ていなごと野蜜を食べ物としている(マタイの福音書3章4節)。
●9節.では、何を見に行ったのか。預言者か。そうだ。言っておく。預言者以上の者である。
●10節.『見よ、わたしはあなたより先に、使者を遣わし、あなたの前に道を準備させよう』と書いてあるのは、この人のことだ。
イエスは、洗礼者ヨハネを、彼こそ神の言葉を語るまことの預言者、いや預言者以上の者だと言われました。
洗礼者ヨハネが神からの預言者だとすれば、彼は申命記第18章15節に預言されている「あなたの神、主はあなたの中から、あなたの同胞の中から、わたしのような預言者を立てられる。
あなたたちは彼に聞き従わねばならない。」の預言者になり、また、モーセのような預言者であります。
そして、13節にあるようにそれでもって、預言者の時代が終わることになります。
●11節.はっきり言っておく。およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。
「女から生まれた者のうち洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。・・・」ということですから、洗礼者ヨハネは人間として最高(神の国に近い者と言う意味でしょう)の者です。
洗礼者ヨハネは旧約時代のイザヤやエレミヤのような偉大な預言ではありませんが、人類救済史上あるいは新約聖書の位置からすれば律法と預言の時代を締め括る重要な預言者でありました。
ルカとマタイの福音書から見ると、洗礼者ヨハネの記事は、旧約聖書から続く最後の預言者として律法と預言者の時代を締めくくりますが、マタイの福音書はイエスと共に新しい時代の開始を告げる人物になっているように思います。
新しい時代の開始ですから、イエスと洗礼者ヨハネを一体の者として扱っていることになると思います。
イエスは洗礼者ヨハネ以上の者というのは、イエスは女から生まれたのですが、神の霊、聖霊によって生まれたのっですから、神と同じ性質の存在が人間になって生まれたということで神の子です。
イエスの誕生は、まさしく次元の違う事態です。
マタイはこうして、イエスは洗礼者ヨハネとは次元が違う存在であることを暗に強調していることになると思います。
ましてや、イエスは死から復活してキリストとなられたのですから、まったく新しい事態と言えます。
復活は新しい人間の創造を象徴していると思います。生まれるのは親と同じ性質の存在ですが、復活はまったく新しい命の誕生です。
この節の後半でイエスは、「・・しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。」とも言われました。
つまり、天の国に属する者は、最も小さな者でも、彼よりは偉大であると言われたのです。
天の国に属する者とは、イエスの言葉を信じ、イエスの御霊と共に新しい命に生きる者です。
そういう者は、人間としてはどのように小さい者であっても、「女から生まれたもの」、すなわち生まれながらの古い命(親と同じ性質を持って)に生きる者は、いかに偉大であっても、その者には及ばないと言うことでしょうか。
まさに、これは新しい事態、つまり、男と女の生殖活動から生まれる人間ではなく、聖霊により生まれ変わる新しい人間の創造を指していると思います。
イエスの言葉を信じ心に留めれば、そういう事態がその人に生まれるのです。
●12節.彼が活動し始めたときから今に至るまで、天の国は力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている。
この節はどういうことでしょうか。
ルカの福音書の並行個所16章16節を見ると、「律法と預言者は、ヨハネの時までである。それ以来、神の国の福音が告げ知らされ、だれもが力ずくでそこに入ろうとしている。」 とあります。
ちょっと、分かりにくいですが、この福音書が書かれた時代の背景を考えると、神の福音が告げ知らされている神の支配の共同体(神の民の集まり)の中へ、力ずくで入ろうとしている。
何が入ろうとしているのかというと、背景として、異邦人(ユダヤ人以外)の諸民族が激しくエクレシア(神の民の集まり)に力ずくで入ってきている、と解釈できると思います。
解説書を見てみると、「天の王国(神の民の集まり)は暴力を加えられている。そして暴力的な者たちが、それを奪い取っている」(岩波版佐藤訳)。
その敵対者は主の言葉の宣教に迫害を加えるなど暴力的に対抗し、天の支配を妨げ、入ろうとする者から奪い取っている」と書いてありました。
この福音書が著わされた時代は、キリストの共同体を破壊する活動、迫害が活発であったのでしょう。それなら意味が分かります。
なお、「彼が活動し始めたときから今に至るまで、・・・」とあるのは、洗礼者ヨハネの活動から自分の時代までの歴史を念頭に置いていると思います。
この時期全体を通じて、イスラエルは洗礼者ヨハネに対してもイエスの弟子たちに対しても敵対的で、迫害をもって神の支配を妨げてきたのである、と言いたかったのではないでしょうか。
●13節.すべての預言者と律法が預言したのは、ヨハネの時までである。
●14節.あなたがたが認めようとすれば分かることだが、実は、彼は現れるはずのエリヤである。
●15節.耳のある者は聞きなさい。
この13節から15節の言葉は、そういう神の支配を妨げている者たちへの呼びかけだと思います。
イエスは、神の支配を妨げる者たちに「耳のある者は聞きなさい」という言葉で呼びかけられました。
「ヨハネに時まで」というのは、神は、旧約から新約に切り替わる新しい時の先駆者として洗礼者ヨハネを、そして、イエスをメシアとしてイスラエルに遣わされ、呼びかけられたのに、両者の呼びかけを拒否しました。
そのことを、16節から19節でイエスは、たとえの形で語られました。
●16節.今の時代を何にたとえたらよいか。広場に座って、ほかの者にこう呼びかけている子供たちに似ている。
今の時代と言うのは、すなわちイスラエルが、洗礼者ヨハネとイエスの宣教を受けた今の時代。この時代を広場で遊ぶ子供にたとえられます。
●17節.『笛を吹いたのに、 踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、悲しんでくれなかった。』
●18節.ヨハネが来て、食べも飲みもしないでいると、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、
洗礼者ヨハネは、荒れ野での厳しい禁欲的な生活の中から、イスラエルに対し、終末が到来し、迫ってくる裁きの時に備えて悔い改めを呼びかけましたが、その呼びかけに対しイスラエルは「あれは悪霊に取りつかれている」(18節)と言って無視したということでしょう。
この「悪霊に取りつかれている」という表現は、当時のユダヤ人が自分たちの常識とはかけ離れた主張や生活をする者を差別するときに投げかけた決まり言葉みたいなものであると言うことです。
●19節.人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。しかし、知恵の正しさは、その働きによって証明される。」
続いてイエスが、神の恵みの時が来ている、イエスと人類の婚礼の喜びの時が来ているとして、罪人と言われている律法を守れない人達と飲食を共にして喜びを分かち合うと、(イエスは実際、カナの婚礼では水をぶどう酒に変えて婚礼の宴を祝福されました)、「見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ」と言って、イエスを非難し拒否しました。
イスラエルが拒否したからといって、ヨハネやイエスの宣教が正しいもの(神からのもの)ではないということにはならないとして、そのことを19節後半で「知恵の正しさは、その働きによって証明される」と表現されました。
この知恵の正しさと言うのは、神の正しさと言い、神の知恵を指し、旧約聖書の知恵文学(ルカの福音書第11章49節)の流れであると思います。
まとめると、イスラエルは旧約聖書にあるように神の知恵によって遣わされた預言者たちを殺してきました。
同じように今先駆者である最後の預言者でもある洗礼者ヨハネとイエスをも拒否して殺そうとしています。
どのような社会も、どのような国家も新しい流れが起こる時は、古い価値観にとらわれた人々の、現代風に言えば、既得権益を守り、新しい流れを排除しょうとする力が働くのです。
そして、洗礼者ヨハネとイエスが正しい(神から遣わされた者であること)ということは、両者の働きの結果が証明すると言っています。
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