思い悩むな(マタイ6章)
今回はマタイの福音書第6章25から34節を読みます。共観福音書の並行個所はルカの福音書第12章22から32節です。
マタイの福音書に沿って見ていきたいと思います。
マタイの福音書第6章
●25節.だから言っておく。自分の命のことで、何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い煩うな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。
イエスはこの「思い悩むな」の話を「だから言っておく・・」という切り出しで話し始められましたから、この話が、この前のたとえ話の結びの話になるのでしょう。
前のたとえ話とは、「天に富を積みなさい」「体のともし火は」「二人の主人のたとえ」です。
この三つのたとえ話の意味は、一言でいえば、神の前に富む者になることは、何よりも、神の国と神の義を求める事だと言っていると思います。
わたしたちの人生の最大の関心事は、「どうして生活していこうか」という問題だと思いますが、イエスはそれを具体的に「何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようか」という問いの形で表現されました。
これらの問いかけはお金があればすべて解決することです。
安定した生活を得るためには、できるだけ高額の収入を安定して得ることです。それがすべてです。
人間はそのために人生のほとんどを費やし、人生の悩み事のほとんどはそのことから生じます。
だから、それらはある意味程度の差はあれ必要不可欠な問題です。
現世を生きるわたしたちには「思い悩むな」と言われても、現実にそういう価値観の社会に生きているわけですから、そこを飛び出さない限り無理だと思います。
イエスは、それらの疑問に対し、空の鳥とか野の花を例にあげ神の配慮を語り始められたのです。(マタイ6章26節から30節)。
そして結びとして、同33節で「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」と語られました。
「何よりもまず、神の国と神の義を求める」ならば、空の鳥を養い、野の花を装ってくださる父が、必要なものを与えてくださるから、思い悩むことはないと、イエスは語りかけておられるのでしょう。
それでは、この節の後半「命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか」ですが、思い悩むのと命と食べ物の比較、あるいは体と衣服の比較はどのように関係するのでしょうか。
命とか体は神が定められて戴いたものですから、わたしたちが思い悩んでもどうこうできることではないことです。
価値の比較ですから、命とか体ほど大切でない食べ物とか衣服はなおさらそのことで思い悩んでも仕方がないのではないか、ということでしょうか。
●同26節.空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。
この箇所は、「思い悩むな」と言われる根拠を、空の鳥が養われているのをたとえに説明されています。
といっても、空の鳥のように自然にあるものをとって暮らす原始の生活に戻れとは言っておられないと思います。
人間はできるだけ多くの収穫を安定して得るために、種蒔き、刈り入れ、保管に工夫を重ねて文明を形成してきました。
イエスはそれを否定しておられるのではないと思います。
この箇所の趣旨は、天の父の配慮を告知し、自分ではどうにもならないことを思い悩むなと言うことでしょう。
つまり、「あなたがたは鳥よりも価値あるものなのだから、父が配慮してくださらないことがあろうか。」ということですね。
だから、毎日の生活のことは、自分で思い悩むのではなく、天の父の配慮に委ねなさいと言っておられるのでしょう。
●同27節.あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。
ここは、寿命をたとえに使っておられるから、自分の力でどうしょうもないことで思い悩むことの愚かさを語っておられるのでしょう。
自分の力でどうしょうもないことを思い悩むのは、ある意味傲慢につながります。
そうでしょう、寿命を延ばせると考えるのは人間の分を超えた傲慢です。
できもしないことを、ああしようか、こうしようかと思い悩み、先走って心配するのは愚かなことだということでしょう。
●同28節.なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。
ここは空の鳥に続いて野の花(野の草)が話題になっています。
おそらくこの話も、「幸いの言葉」を語られた同じ場所で、つまり、ガリラヤ湖を見下ろす場所で、穏やかな暖かい春の風を肌に感じながら、この「空の鳥、野の花」の言葉を語り出されたのでしょう。
そこにはきっと野に花が咲き、虫や鳥が飛び交っていたのでしょう。
イエスはその野の花を指して、その花が「どのように育つのか、注意して見なさい」と呼びかけられます。
そう、種が芽を出し花が咲くまで大きくなる原因を考えてみなさいということでしょうね。人間は水をやるだけで、大きくなるのはなぜでしょう。
人間は花の世話をするだけで、成長させるのは人間ではありません。
●同29節.しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
ここでは「働きもせず、紡ぎもしない」のに、「栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった」とあるように、目の前にある野の花の背後に何を見るのか、それが問われているのだと思います。
神のなされたことは美しい。
●同30節.今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。
イエスは目の前の大きく茂った野の草をたとえに「今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる」と、背後におられる神の配慮を見ておられるのだと思います。
神がこのように小さいものを配慮してくだっているのであれば、「まして、あなたがたにはなおさらのことではないか」と語られます。
それなのに、わたしたちは毎日のように「何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようか」と思い悩んでいます(6の31節)。
このようなわたしたちの現状を、父の配慮を信じない者として、イエスは「信仰の薄い者たちよ」(ルカ12の28節)と嘆かれます。
そう、わたしたちを見て嘆かれると同時に、配慮してくださっている父を信じなさいと励まされているのだと思います。
●同31節.だから、「何を食べようか」「何を飲もうか」「何を着ようか」と言って、思い悩むな。
ここで、イエスは再度「だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と思い悩むなと繰り返されます。
●同32節.それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。
ここの「それはみな、異邦人が切に求めているものだ。」と言うのは、異邦人と言うのはユダヤ人以外。
つまり、神を知らない人のことですから、その様な人は何が大切なことかもわからず、神がわたしたちの必要なことを知っておられて、与えてくださることを知らないで、毎日のように「何を着ようか」「何を食べようか」と思い悩んでいる。
だから、その様なことで思い悩むのならばあなたたちも異邦人と同じではないか、ということでしょう。
●同33節.何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。
ここでは何よりも一番大切なことは何かを語っておられます。それは、「神の国と神の義を求めなさい。」です。
そして、「そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」と言われます。
このこれらの物とは、もちろん、着る物、食べる物、飲む物などわたしたちが日常必要とするもののことでしょう。
先の三つのたとえ話とこの「思い悩むな」でイエスが言おうとしていることの結論は、この「何よりもまず、神の国と神の義を求めよ」という言葉になるのではと思います。
なお、ルカは「神の国(神の支配)を求めなさい」のみですが、マタイは「神の義」という句を付け加えています。
神の義と神の国を求めることは同じ意味で神の国を限定するために入れたのでしょう。
ルカが「神の義」を入れなかったのは、ルカの福音書12章32節の「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。」にあるのだと思います。
ルカは、「小さな群れよ、恐れるな」と言っていますから、この世の圧力や迫害に耐え、神の国だけを目指して歩むイエスの民に、この地上の必要は心配しないで、父が約束された神の国に希望を持って、父の配慮に委ねるようにと励まされているのでしょう。
●同34節.だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」
これは格言でしょうね。
明日の心配が絶えないわたしたちにとって、慰めに満ちた言葉です。
イエスが、「思い悩むな」と説かれる根拠として、弱くて小さい者に対する創造者の配慮を見ておられますが、人間は創造者を父として信頼すれば、毎日の生活の思い煩いから解放されて生きることができるのだと説いておられると理解することができます。
内村鑑三はこういう生き方を「一日一生」と言ったそうです。
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