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2017年9月 9日 (土)

イエス・キリストの誕生(2)

マタイの福音書第1章

●20節.このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。

●21節.マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである」。

●24節.ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、

●25節.男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。

ここで初めて主の天使がヨセフに臨みマリアの胎の子は聖霊によって宿ったことを告げます(20節)。

恐れと戸惑いの中にいたヨセフでしたが、天使がヨセフに臨まれてマリアに裏切られたわけではないことを知ります。天使はヨセフの心に語り掛けましたので、ヨセフは平安を得たことでしょう。

同時に天使は男の子の誕生を告げ、イエスという名を与えることを命じます(21節)。

ルカの福音書では、ここでマリアは不安に思って誰かに相談をしたかったのでしょうか、自分のことを最も理解してくれると思われる親戚のエリサベトのところに行っています(ルカの福音書第1章39節・40節)。

このとき、既に親戚のエリサベトは天使から別の宣告を受けていました。

エリサベトは子供ができないまま年老いて不妊の女といわれていましたが、主の奇跡(処女降誕ではない)で妊娠していました。

それは次の聖句ですが、同時に洗礼者ヨハネの誕生の経緯となります。

ルカの福音書第1章

7節.しかし、エリサベトは不妊の女だったので、彼らには、子供がなく、二人とも既に年をとっていた。

13節.天使は言った。「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。

15節.彼は主の御前に偉大な人になり、ぶどう酒や強い酒を飲まず、既に母の胎にいるときから聖霊に満たされていて、

16節.イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる。

17節.彼はエリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する。」

ルカの福音書第1章25節には「主は今こそ、こうして、わたしに目を留め、人々の間からわたしの恥を取り去ってくださいました。」とあります。

同じ神による奇跡的な妊娠でも、エリサベトは年老いていたので、子供は諦めていました。妊娠は祝福されるものでした。

マリアは聖霊による妊娠という奇跡ゆえに恥を隠さなければならない出来事でした。

やがてエリザベトは、洗礼者ヨハネを産みます。産婆に取り上げられて、親戚と地域の人々に祝福された出産でした。

「声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。」(ルカの福音書第1章42節)

メシアたるイエスの誕生物語は、このように天使の登場と告知によって、神の計画の進行が物語られます。

マリアの婚約者ヨセフがマリアを離縁すると決意したにもかかわらず、その決意を翻してマリアを妻として迎え入れたのは、 夢に現れた天使の言葉によるとされます。

ヨセフは天使から「ダビデの子ヨセフ」と呼びかけられ、生まれる子がダビデの家系に入れるための神の計画であることを、あらためて強調しています。

その言葉は、イスラエルの人々にイエスをメシアとして示すためには必要なことでした。

ところが、当時のユダヤ人が期待していたメシアは、イスラエルの民を異教徒の支配から解放し、世界に自分たちの神の支配を確立するダビデのような人物であったので、天使が告げる自分の民、つまり、全人類を罪から救うメシアとは違っていました。

この「ダビデの子」メシアは、罪に陥っている自分の民を罪の支配から救い出して、神との本来の交わりに回復してくださる方なのです。

この自分の民というのは全人類のことですから、当然ご自分の民の中には異邦人(イスラエル人以外)も含まれますので、ユダヤ人の誇りを打ち砕きます。

ヨセフに臨んだ天使は、マリアのお腹の子は聖霊によって宿ったものであるという秘密をヨセフに明かして、ヨセフに恐れることなくマリアを妻として迎え入れるように、すなわち生まれてくる子を自分の子として受け入れるように促します。

こうして、男性の関与なしに聖霊によって懐胎した子が同時にダビデの子であるという矛盾が、天使の言葉で解決されます。

婚姻関係にないマリアの妊娠、それも聖霊による妊娠、本来ならばマリアはヨセフに婚約を破棄され、石打の刑になるはずです。

それをヨセフは天使の言葉によりそのまま受け入れたのです。そのようなことは、当時のユダヤ人社会では到底受け入れられるものではなく、当事者にとっては正しく悲劇でした。

ヨセフとマリアは、ユダヤ社会における人間的な悲劇の重荷に耐えて、神の計画を実現する器として選ばれたのでしょう。

イエスという名は、洗礼者ヨハネと同じく天使が、つまり、神がマリアに生まれてくる子供のために付けられた名前です。それは、神がその人物の使命を表現するために与えられた名といえるでしょう。

使命とは、もちろん、マタイの福音書第1章21節後半の「自分の民を罪から救うからである」という説明のとおりです。

それが、イエスがこの世のこられた目的です。その使命を受け継ぐキリスト教という宗教はそのために存在するのです。

神の御子は父親の分からない子としてこの世にお生まれになったのです。

そのような子供が、ユダヤ教の律法による縛りのきつい、人間関係の密接な小さな街で受け入れられるには厳しい、いや、とても受け入れられるような事態ではなかったでしょう。

現在でももしこのような事態が起これば、その人は変人扱いにされ、隣人どころか家族にも受け入れられるのは難しいと思います。

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