イエス誕生その後(2)(マタイ2章)
(東方の学者たちの捧げ物)
マタイの福音書第2章
●9節.彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。
●10節.学者たちはその星を見て喜びにあふれた。
●11節.家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
●12節.ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。
東方の賢人たちは、東方の特産物である高価な宝三種、すなわち黄金、乳香、没薬を捧げて、幼子を「ひれ伏して拝む」(11節)。
ここまで東方の賢人たちは複数形で語られていますが、何人であるのかは示されていません。
彼らが三種類の贈り物をしているので、東方の賢人たちは三人であるという伝承が生まれ定着しているということです。
彼らは「夢のお告げ」(12節)によってヘロデのところには戻らないで、自分たちの国に直接帰ります。
東方の賢人たちが捧げた三種類の贈り物については、古来多くの象徴的な解釈があるようですが、特に意味はなく東方の賢人たちがもっとも高価な宝を捧げて礼拝したというだけではないでしょうか。
(エジプトに避難する。)
マタイの福音書第2章
●13節.占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」
●14節.ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、
●15節.ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
占星術の学者が帰ったあとマリアの夫ヨセフに天使が「ヘロデが幼子イエスを殺そうとしている。エジプトに逃れるように」(13節)と夢で警告します。
そして、帰国する時期も「わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。」(13節)と指示します。
ヨセフは御使いの警告通り、幼子イエスと母マリアを連れて夜のうちにエジプトへ逃れます(14節)。
こうして、イエスはエジプトで難民として幼少期を過ごされたのでしょうね。
(ヘロデ、子供を皆殺しにする)
マタイの福音書第2章
●16節.さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。
●17節.こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。
●18節.「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、/慰めてもらおうともしない、/子供たちがもういないから。」
猜疑心の強いヘロデは、預言されていたメシアの星をいただいて生まれた幼子イエスを殺すために、ベツレヘムと周辺の二歳以下の男の子を無差別に殺すという残虐な行為に及びます(16節)。
権力を維持するために自分の息子まで殺して、皇帝アウグストゥスに「ヘロデの息子であるよりは豚の方が安全だ」と言わせたヘロデのことであるから、このようなこともありえるかも知れません。
ヘロデの残虐性は、義理の兄弟二人、妻マリアムネ、そして自分の息子二人を殺害し、ヘロデは自分の死の五日前に多数の市民を逮捕するように命令し、自分の死んだ日には国の中が喪に服するにふさわしい雰囲気を作るために逮捕した市民を殺すように命じていたという記録があるそうです。
そして、ヘロデの統治時代は処刑のない日はなかったということです。
マタイは、イエスこそがイスラエルの歴史の意味を成就する方であることを語り、ヘロデの子供皆殺しの事件もエレミヤ書31章15節の予言の成就としています(17節・18節)。
(エジプトから帰国)
マタイの福音書第2章
●19節.ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、
●20節.言った。「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。」
●21節.そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。
●22節.しかし、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、そこに行くことを恐れた。ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、
●23節.ナザレという町に行って住んだ。「彼はナザレの人と呼ばれる」と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。
マタイは、幼子イエスの身に起こったことすべてが、神のご計画によるものであると強調しています。(19節)。
主のみ使いのお告げによりエジプトを出たヨセフ一家は、再びイスラエルの地に戻りますが、故郷のベツレヘムがあるユダヤ地方はヘロデ大王の息子のアルケラオが支配していると聞き、彼の支配を恐れてそこに帰ることをためらいます。
そこで再び夢の中で警告を受け、ユダヤの地を避けてガリラヤ地方に移住し、ナザレという町に落ち着きます(22節・23節)。
なお、22節の夢で「お告げがあった」と訳されている動詞は、「警告を受けた」という意味の動詞ということです。
いずれにせよ、マタイはこの福音書を執筆当時、イエスの言葉を信じる者がユダヤ人の間で広く「ナザレ人イエス」と呼ばれていた事実を、預言の成就として意義づけているのでしょう。
マタイの福音書を生んだシリヤの共同体では、イエスの言葉を信じる者たちが「ナザレ人」と呼ばれていたのは事実であるということです。
なお、使徒言行録24章5節をみると、パウロはユダヤ人たちから「ナザレ人の分派」の首謀者として訴えられていますので、このことからも、当時イエスをメシアと信じるユダヤ人たちはそのように呼ばれていたのだと思います。
23節の「預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。」というのは、預言の成就ですから、イエスが出身地にちなんで「ナザレ人」と呼ばれていたという預言は旧約聖書のどの個所かを調べましたが、旧約聖書のどこにも「ナザレ」という言葉がないのです。
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