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2017年9月 8日 (金)

イエス・キリストの誕生(1)(マタイ1章)

マタイの福音書第1章18節から25節/ルカの福音書第1章13節から17節・26節から40節を読みます。投稿は三回に分けます。

マタイの福音書第1章
●18節.イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。

●19節.夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。

誕生物語を読んでみて最初に感じたことは、イエスの誕生が旧約聖書の予言を成就する出来事であるということが強調されているということです。

そして、イエスの誕生は神のご計画であって、マリアは通常の男女の関係によって妊娠したのではなく、聖霊によって妊娠したということです。

マタイが語るイエスの誕生物語の主人公はヨセフで、ルカが語る誕生物語の主人公はマリアです。

それはおそらく、マタイはイスラエルの人々に対し福音書を書いているので、当時イスラエルの人々は救い主はダビデの子孫から生まれる(サムエル記下7章8節から16節、イザヤ書11章1節)と律法学者に教えられていたからでしょう。

だから、イエスはマリアの処女降誕により生まれましたので、ダビデの血統ではないのですが、ヨセフはダビデの血統なのでヨセフを強調する必要があったのでしょう。

でも、それはイエス自身がマルコの福音書12章35節以下で訂正されています。

35節.「どうして律法学者たちは、『メシアはダビデの子だ』と言うのか。

36節.ダビデ自身が聖霊を受けて言っている。『主は、わたしの主にお告げになった。「わたしの右の座に着きなさい。わたしがあなたの敵を/あなたの足もとに屈服させるときまで」と。』

37節.このようにダビデ自身がメシアを主と呼んでいるのに、どうしてメシアがダビデの子なのか。」

イエスはイスラエルだけではなく、全人類の救い主として神の子としてお生まれになったのです。

婚約はしているが、まだ婚礼をあげ自分の家に入って結婚関係を結んでいないマリアが妊娠していることが分かったとき、ヨセフはひそかに婚約中のマリアと縁を切ろうと決心します(19節)。

福音書はさらっと書いていますが、この時代、緊密な人間関係を持つユダヤ人社会で婚姻関係を結んでいないマリアの妊娠には世間の厳しい目が注がれたでしょう。

決して歓迎されるようなものではなかったはずです。

律法は、女性が姦淫によって妊娠した、あるいは婚約相手以外の男性と性関係を持ったことが明らかになれば、婚約中の女性は姦通の罪に問われ石打の刑に処する様に定めていました。

なお、独身女性が妊娠出産しても姦通罪にはならないそうです。

18節にマリアが聖霊によって妊娠したと書いていますが、この段階では、ヨセフはマリア妊娠の経緯がわかっていなかったので、おそらく当惑したことでしょう。

ヨセフにとって婚約者であるが関係のなかったマリアの妊娠は結婚を困難にする悲しむべき大事件であったはずです。

マタイの福音書は、マリアが聖霊によって身ごもったと突然始まっていますが、天使がマリアに妊娠の予告をした経緯は、ルカの福音書1章26節から38節に詳しく書かれています。

聖句は次のとおりです。

マリアの叔母エリサベトが天使の予告により洗礼者ヨハネを身ごもってから六ヶ月後のことでした。
ルカの福音書1章

●26節.六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。

●27節.ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。

●28節.天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」

●29節.マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。

●31節.あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。

●34節.マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」

●35節.天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。

●38節.マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。

さてマタイに戻りまして、19節でヨセフが正しい人というのは、一般的な真面目で思いやりが深いということもあるでしょうが、当時イスラエルでは旧約聖書のモーセ律法を遵守する人が正しい人ですから、そういう意味も含まれていたでしょう。

それでもヨセフは思いやりが深く寛大で、マリアを咎め立てするとか、法の裁きにさらすことなく、密かに離婚することを決意しました(19節)。 

当時のユダヤ教社会では婚約関係にあれば法的に夫婦として扱われていたそうです。

婚約の解消は、証人の前で離縁状を渡しますが、「ひそかに」ですから、ヨセフはおそらくその理由を明示しないで離縁状を渡すという形で、離縁することを決心したのでしょう。

なお、マリアの処女降誕が事実かどうか色々と論議されていますが、処女降誕が科学的に証明できないから嘘だとか、わたしたちの知恵とか知識で理解できないから嘘だとかそういう考えもおかしいと思います。

事実このわたしたちが住む世界のことは分からないことばかりです。これだけ科学は発達してもほとんど何も分かっていないと言っても過言ではないと思います。

ただ、このわたしたちが住む世界、精密で美しい天地万物を見ると、何者かが設計して創造して支えておられるということは否定できないと思っています。

偶然の産物などとはとても考えられません。

わたしは体験したこととか、目に見えていることだけが真実だとは思っていません。

分からないから信仰が生まれるのです。処女降誕はあくまで信仰の問題です。

処女降誕は証拠を探すとか、議論することではなく、信じるか否かだけだと思っています。

これだけは書いておきますが、イエスの処女降誕が嘘であったとしても、キリスト信仰には問題はないと思います。

しかし、マリアの妊娠の際に何らかの不思議な霊的な出来事があったのは事実でしょう。

神がなさることは一度で、また、人間が意識してできることではありませんので、証明のしようがありません。
信じるか信じないかです。だから、信仰が必要なのでしょう。

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