神の力
ローマの信徒への手紙1章16節を読みます。
●16節.わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。
この聖句は、使徒パウロの福音とは何かという問いに対する答えです。
一言でいえば、福音とは神の力だと言っています。
キリストの福音は、キリストの出来事を世界に告知する言葉ですが、その内容は、キリストとしてのイエスの出来事です。
イエスの言葉や働きであり、十字架の死とか復活などの出来事を報告する言葉です。
言い換えれば、福音は、キリストの復活を体験した証人が、復活されたイエスをキリストとして、そのキリストの十字架と復活は、神が人間の救いのために成し遂げられた出来事、すなわち、神の人類救済の働きであることを世界に告知する言葉です。
神の言葉は、神の人類救済の働きですから、動的なもので神の力であるわけです。
神の力は神の思いです。神の思いは言葉となって聞くものに働くと変化が生じます。
物理的な力は物体に変化を、熱などのエネルギーは物質の形状を変えますが、それと同じように、人の思いがこもった言葉も、人間関係に置いては、時にその言葉を受ける人の人格に働きかけて、尊敬や侮蔑、あるいは、その人を変えます。
同じように神の言葉は、霊の言葉ですから、その人の霊魂に働きかけてその人を根底から変化させます。その力は霊の言葉ですから、神の御霊、聖霊によってもたらされます。
聖霊は、三位一体の神の三位格で、神の思いがこもっています。
神は愛であり人格であると聖書は説きます。神の言葉は愛ですから、福音は人間に対する神の愛の言葉です。
ですから、神の愛の言葉は、人格から人格に語り掛ける愛の言葉です。
神の言葉は霊の言葉で、その人の霊魂に働きかけてその人を根底から変化させると書きましたが、その変化の全体を救いと呼ぶのでしょう。
「福音は信じる者すべてに救いをもたらす神の力である」とはそういうことでしょう。
このように、キリストを告知する福音は、議論ではなくキリストの御霊、聖霊に満たされた証人によって神の働きを告知する神の言葉ということでしょう。
ですから、聖霊は神の力の実働体です。
それは、終わりの日に成し遂げられたキリストの十字架という神の救いの働きを世界に告知するのです。
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