共観福音書について
共観福音書(マタイ・マルコ・ルカの福音書)を読むに際し、参考になると思い、三つの福音書の特徴を簡単にまとめてみました。
福音とは良き知らせとも言いますが、その良き知らせは、約2000年前にこの地上におられたイエスという霊的な人格をもった人物の身におこった出来事を告知することです。
したがって、福音のことをイエス伝とかキリスト神話などと言っていますが、どのような言い方であれ、2000年前にイスラエルのナザレの大工の息子として、この地上に生まれ育った「イエスという人物」を歴史上の出来事と共に霊的な観点から伝えようとするものです。
伝えるのは福音書の記者/作者たちで、伝えられるのは、イエスが亡くなられた後を生きるわたしたちです。
当然、福音書は新聞記事ではありませんから、イエスが語られた事、イエスの身に起こった出来事をそのまま伝えるのではなく、その言葉と出来事の意味と共にイエスという人物をその人格において伝えることになります。
新聞記事は、出来事が起こった場所・時間・原因・経過・結果などをできるだけ詳細に、正確に、すなわち客観的に伝えようとしますが、福音書はその人物の出来事、すなわち、ナザレのイエスという人物の人格というか、何者であるか、すなわちその意味を歴史上の出来事と共に伝えるのです。
ですから、その意味は、イエスという霊的な人格を持った人物そのものということになります。
内容は、イエスが語った言葉(それは神のみ言葉として)、イエスが生前に行った事、イエスの身に起こった事をイエスがこの地上に生まれた意味と共に伝えるのです。
そして、最大の目的は、ナザレのイエスが死から復活してキリスト(救い主)とされた事を伝えるのです。
復活は、その出来事が神の御計画であるとし、同時にイエスによって伝えられたことがすべて真実であることを証するのですから、福音の核心です。
それらのことを伝える福音書は、著者、記者の個性とか、能力とか、書かれる目的によって同じイエスの出来事でも、表現が違ってきます。
三つの福音書がそれぞれ少しずつ違っているのはそのためです。
角度が違ってみている三つの福音書があるから、一人の人が書いているより、イエスという人物を伝えるという意味では、より正確だともいえます。
三つの福音書に記載されていることは、同じ一人物であるイエスを表していて、すべてが正しいということです。
簡単言えば、三人で講演会に行き、同じことを学んでも、それぞれ三人とも少しずつ理解の仕方が違うことがよくあります。
人はそれぞれもっているベースが違うし、自分が関心を持っていることに合わせて、講師の話を受け取りますから、当たり前です。
それと同じです。ですから、三つの福音書の著者のイエスを見る角度が少しずつ違っているがゆえに、福音書はイエスのことをより正しく伝えていると言えます。
聖書には、確かに誇張されたところとか、一部改竄された箇所はあるでしょうが、わたしはそれらのことはイエスという人物を伝えるという意味ではあまり問題ではないと思うのです。
なにしろ、神は福音伝道を人間の言葉によって伝えるよう、人間の手に委ねられたのですから、それくらいのことは承知されているはずです。
キリストの民と共に福音伝道のために働かれる聖霊が、聖書の言葉を読む者、聞く者に働き、知恵を与え正しく導かれるでしょう。
福音書は文字で書かれていますから、イエスの霊的な人格を文字で人に伝えることになりますが、その文字で書かれた聖書の言葉は神の言葉ですから、読み聞く者に聖霊が働かれるのです。
その働きは、その者が聖書の言葉を理解するのを助け、イエスの霊的な人格に触れさせ、イエスを信じるのを助けることでしょう。
神はご自分の思いをわたしたちに伝えるために、聖霊によって、聖書の言葉によって、読み聞く者に働かれるのです。これは神秘です。キリスト教の秘儀です。
福音書を書く著者、記者には個性があり、能力も違います。更に、人間が、人間の言葉で、目的をもって、書く人の主義・主観を交えて書いたものですから、そういう意味で福音書は不完全です。
しかし、そこに聖霊が働かれることによって完全であると言えます。
現在残されている福音書の最も古いのは、原本でなく写本だとうことです。
また、現在では100か国以上の国の言葉に翻訳されています。完璧な翻訳などあるのでしょうか。
そのことを考えれば、福音書の文字を一字一句を取り上げて、間違っているとか、改竄されていると指摘されるのはおかしいと思います。
人間の言葉は、不完全な人間が生み出した言葉ですから、その言葉を発する人の思いを、時代を超えて正しく伝えるという面では、不完全です。
そのために、御霊が聖書を読む者に働かれて、知恵を与え理解を助けられていると思うのです。御霊は人間と違って時代を超えて働かれます。それに神の御霊ですから完全です。
なお、福音書が生まれた経緯ですが、別の投稿文「聖書が生まれた経緯」に詳しく書きましたので、参考にしてください。
●マルコの福音書
マルコの福音書は、四つの福音書の中で最初に書かれたと言われています。
著された推定年代はユダヤ戦争以前、紀元50年代から60年代(70年前後と言う説もあります)と言われています。
イエスが十字架に架けられたのが30年ですから、その2・30年後ということです。
ユダヤ戦争が終わるのは紀元70年ですから、その直前から直後にかけてです。
熱心党を中心に反ローマ運動が盛んな時代です。
ユダヤ戦争は熱心党の運動が高じて起こったことだと思います。
マルコの福音書の目的は、イエスの働きの歴史的事実を記録するのではなく、イエス伝承を用いてキリストの福音を告知することだと思われます。
著者は、イエスの働きと生涯を伝える文書を、「イエス・キリストの福音」(マルコ1章1節)として告知しています。
著者マルコは、イエスの12人の弟子ではないのに、マルコの書いたこの福音書の権威が認められて広く流布したのは、イエスの12人の弟子の筆頭とされるペトロから出た伝承を伝えているからではないでしょうか。
いわゆる、使徒ペトロが書いたものに準ずるものとされ、使徒性が認められたのでしょう。
マルコはペトロの通訳で、ペトロがわが子と呼んでいました。
マルコはペトロと共に福音活動に従事し、ペトロが語るイエスの物語を熟知していたと思われます。
マルコの福音書は、ギリシア語で書かれていて、ヘレニストの流れで成立したと言われています。ヘレニストとは、「ギリシア語を話す者たち」という意味です。
イスラエルのキリスト共同体の中には、ユダヤ人ですがギリシア語を話す信徒とアラム語を話す信徒がいました。ギリシア語を話す信徒は、離散ユダヤ人でしょう。
このうち、ギリシア語を話す人々の代表的な存在であったステフアノの殉死(殉死の理由は、神殿と律法を否定したからではと言われています。)以降、ギリシア語を話す人々は迫害を免れるために地方(もともと離散ユダヤ人ですから、生まれ故郷に逃げたのでしょう。)に逃げ帰ったのですが、逃げ帰った先でその人たちはキリストの共同体を立ち上げました。
その人たちは、キリストの福音をイスラエル以外の地に広めるという意味で、大きな役割を担いました。迫害と離散も含めて、神の配慮が窺われます。
そのようにして立ち上げられた共同体の中からこのマルコの福音書が生まれたと言われています。
マルコの福音書は簡潔で、書かれた意図があまり強く感じられないので、イエスの伝記を書こうとしたのではなく、また、誰のためにも書かれたものではなく、自分の神学を説こうとしたのでもない。
あくまでも、イエスの地上での出来事の事実と「神の子イエス・キリストの福音」を宣べ伝えようとしたのではといわれています。
復活された主イエス・キリストの福音を宣べ伝えるに際しての最大の問題点は、主キリストであるイエスが十字架刑により刑死した事実です。
マルコはこの福音書で、その事実が何を意味するのかを明らかにするために、そのことをイエスの受難の事実を物語る中で書こうとしていると思うのです。
なぜならば、イエスが十字架に架けられる受難の地エルサレムに向かって旅をされる個所を受難物語に含ませると、「受難物語」はこの福音書の二分の一を占めているからです。
マルコの福音書10章45節に「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」とあります。
イエスは贖いの代価、つまり人々の代わりに犠牲になる道を歩まれましたのです。
マルコの福音書では、わたしたちに仕えて下さるイエスを見出すことができます。それは、憐みをもって、わたしたちの必要に答えて下さるイエスです。
マルコは使徒ペトロの通訳であったというのは、確証はありません。
ただマルコは、自分の家を集会の場所として提供していたと思われますので、イエスの直弟子との関わりが深く、イエスの直弟子たちの伝承を受け継ぐのに大変恵まれた位置にいたのではないかということです。
ある聖書学者はマルコのことを、パウロらと共にヘレニズム世界の異邦人に広く福音を宣べ伝え、福音の本質と意義について把握するのに恵まれた立場にあり、そのような生涯であったのではと言っています。
ある意味、最初の福音書を書くのに最もふさわしい著者ではないかと言われています。神の配慮が窺われます。
マルコはこの福音書を、イエスの出来事の目撃者である「使徒」たちがいなくなる時代のために、必要を感じ、イエスの働きと生涯を伝える「福音書」を異邦人信徒のために書いたのではと思います。
マルコの福音書は誰のためにも書かれていないと言いましたが、あえて言えば当時の世界語であるギリシア語で書かれていますから、ユダヤ人以外の諸民族で、聖書的な背景を持っていないローマ人に書かれたと思います。
●マタイの福音書
先に書かれたマルコの福音書を基本的な枠組みとしてこの福音を書いたのではと言われています。
書かれたのはユダヤ戦争の後、80年代から90年代ではないかということです。
しかし、マタイの福音書はマルコの福音書を参考にしているということですが、マタイはイエスの直弟子ですから直弟子でないマルコの書いたものを参考にするとは思えません。
マルコの福音書を用いて直弟子としての知識で、マルコの福音書に不足しているところを大幅に補ったということではないでしょうか。
ということで、マタイの福音書はマルコの福音書と直弟子としての知識と、当時流布していたイエス伝承というものがありましたので、それを用いて書いたのでしょう。
もちろん、福音書はマタイの福音書となっていますが、編集はマタイ個人ではなく、マタイの所属する共同体が生み出したと思います。
マタイはその仲間の中心的な存在であり使徒でもあったので、名前には使徒であるマタイの名を使ったのでしょう。
ユダヤ戦争でイスラエルは紀元70年に敗戦し、ユダヤ教各派は崩壊し、ただ一つ残ったのは律法を遵守することを重視するフワリサイ派のみでありました。
そして、この時を境に(ユダヤ教の中での)イエス派(まだこの時はキリスト教という宗教はなく、キリストの民はユダヤ教の一派で、「その道」と呼ばれていました。)は、名実ともにユダヤ教から排斥され独立した一宗教団体としての道を歩み始めるのです。
ユダヤ戦争の敗戦は、ユダヤ教内キリスト信仰が、独立した宗教として分離する分岐点となったのでしょう。
したがって、このマタイの福音書は、キリスト信仰がユダヤ教の外の異邦人世界に乗り出そうとしている姿勢を体現している福音書と言えますので、ユダヤ教内キリスト信仰の遺産を強く継承していると言うことです。
全体として、イエス伝承の教えの面を強調して、ユダヤ人キリスト教徒に対し書かれています。
マタイの福音書を生み出した教会ないし共同体(以下、マタイの教会と呼びます)は、ユダヤ人信徒の教会であって、その教会はシリアのどこかの大きな都市にあったと推定されています。
その都市はアンティオキアと思われますが、アンティオキアの教会は、ユダヤ人とユダヤ人以外の人々が集う教会でした。
アンティオキアには複数の集会があったことから、その中のユダヤ人キリスト者が集う集会ではないかと思います。
当時は少数の人数で家の集会が開かれて、時には全員が集まったりしていたのではないでしょうか。
マタイの福音書はイエスの教えの言葉を集成する性格を持っていますから、義を重視する福音書と言えます。
マタイの福音書は、イエスをメシアと信じるイエス派ユダヤ教徒が、ユダヤ教会堂と断絶し、異邦人世界に乗り出そうとするために書かれていますから、イエスを異端者として断罪したユダヤ教会堂勢力に対して、イエスをメシアと信じる自分たちの信仰をイスラエルの歴史を用いて正しいものであることを証し、イエスかユダヤ教かの選択に迷っている信徒の決断を促し、イエス信仰を励ますために書かれていると思います。
ユダヤ教徒に問いかけているのです。
マタイの福音書を生み出したキリストの共同体は、「語録資料Q」を生みだしたユダヤ人(ギリシア語を話す離散ユダヤ人)の福音活動によって成立した共同体ではということです。
マタイの福音書を生み出した共同体は、メシアとしてのイエスの教えの言葉に従うことによって新しい神の民になることに重点を置いたキリスト共同体だと思います。
パウロは、もっぱら神がキリストにおいて成し遂げられた救いの働きを告知することに重点を置いていますから、それと違って対照的です。
この福音書が著わされたのは、ユダヤ戦争が終わりユダヤ教会堂からイエス派が追放(70年代)され、信仰的にも日常生活の上でも非常に厳しい時代であったと思います。
もちろん、ユダヤ教会堂から追放ということは、ユダヤ社会からの追放(迫害も伴ったでしょう。)と同じですから、日常の生活の上でも厳しいものがあったでしょう。
この福音書はマタイの所属する共同体が生み出したのではと書きましたが、その作業の中心となった著者は、マタイから一世代あとのユダヤ人で、ユダヤ教聖書の素養の深い律法学者的な人物ではないかとみられています。
マタイと言う名になったのは、この共同体が保持していたイエス伝承、とくに言葉伝承が使徒マタイから出たものであると語り伝えられていたからだと思われています。
この福音書には、マルコには書いていないイエスの誕生次第が書かれているのですが、おそらく、マルコの福音書が著された時代は、イエスの誕生次題を書く必要がなかったが、そのあとに書かれたマタイの福音書は、イエスをイスラエルの歴史を完成させるメシアとして描こうとしていますから、また、マタイの福音書はユダヤ人あてに書かれていますから、誕生の次題も必要となったので書いたということではないでしょうか。
マタイの福音書は、イエスの新しい教えを述べ伝えて、ユダヤ人が守るべきものとして最も大切にしてきた律法を否定するのではなく、成就させるという方法で完成させています。
まさに律法遵守を唯一の救いの方法と信じるユダヤ人キリスト教徒を意識して書いていると思うのです。
●ルカの福音書
ルカの福音書は、イエス伝承を用いてキリストの福音を世に告知しょうとする文書だと思います。
基本的な面はマルコと変わらないと思います。書かれたのは紀元80年から紀元100年ですが、紀元85年説が有力です。
いずれにしても福音書が生まれたのは、キリスト者がユダヤ教から独立を迫られ、自立した信仰集団に生まれ変わろうとしている時代であろうかと思います。
そして、マタイの福音書と同様、マルコの福音書に依存して書かれたと言われています。
マルコの福音書は、イエスが働かれている現場にいるという臨場感を持って書かれていますが、ルカはイエスの生涯を過去の出来事として記述する歴史家の目で書いているように思います。イエスが亡くなられて、50年以上を経ています。直使徒たちはほとんど殉教し、使徒たちも二代目、三代目になっていたでしょう。
マルコは、使徒言行録も書いています。
使徒言行録は、主にペトロとパウロの伝道活動を描いていますから、やはり、歴史家の目で、イエスとその弟子二人の出来事を将来に残しておくために書いたということでしょう。
ルカが著した二つの文書は、そういう意味でキリスト教の誕生を知るには欠かせない文書です。
そのことをルカは1章1節から4節で次のように言っています。
○1節.わたしたちの間で実現した事柄について、最初から目撃して御言葉のために働いた人々がわたしたちに伝えたとおりに、物語を書き連ねようと、多くの人々が既に手を着けています。
○2節.わたしたちの間で実現した事柄について、最初から目撃して御言葉のために働いた人々がわたしたちに伝えたとおりに、物語を書き連ねようと、多くの人々が既に手を着けています。
○3節.そこで、敬愛するテオフィロさま、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのがよいと思いました。
○4節.お受けになった教えが確実なものであることを、よく分かっていただきたいのであります。
わたしは、ルカはまじめな方だと思うのです。
イエスの生涯をできるだけ事実に近い形で復元しょうとするルカの強い意思は伝わってくるからです。
イエスの出来事が遠い過去になりつつあり、記憶も薄れる中で、福音を時代に残そうとする強い意思が見受けられます。
それに厳しい言葉を柔らかく、読みやすいように表現を変えているところもあるように思います。
ルカはパウロの福音活動のおそらく同行者であったと思います。
そして、マルコと同じように、イエスの出来事を福音と言う言葉で語っていますので、マルコの福音書をモデルにして書いていると思うのです。
そして、マルコの福音書と同様、アラム語ではなくギリシア語で書かれていますので、異邦人(ユダヤ人以外の諸民族)のために書かれていると思います。
マタイとルカの福音書は、マルコの福音書に依存して書かれ、両福音書はさらにイエス伝承を材料にして、それぞれの福音書を書いたと思うのですが、違いが出たのは、先にも書きましたが、著者の個性とか、能力とか、書かれる目的が違ったので、その材料の用い方も違ってくるということでしょう。
ただし、マタイとルカの間には申し合わせとか直接の関係はないそうです。
その材料と言うのは、マタイとルカはマルコの福音書とQ資料(Qと言うのは資料という意味だそうです。)とイエスの語録集です。
ただし、Q資料もイエスの語録集もあったという仮説があるだけで、その存在は確認されていません。
なお、先にも書きましたが、各福音書は福音書に冠せられた名前の人物一人で書かれたものではなく、その人物の所属するキリストの共同体が生みだしたものと言うことです。
もちろん、冠せられた名前の人物は、福音書を著す上で中心となった人物だと思います。
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