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2017年8月15日 (火)

御子はその体である教会の頭

コロサイの信徒への手紙1章18節を読みます。
●18節.また、御子はその体である教会の頭です。御子は初めの者、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、すべてのことにおいて第一の者となられたのです。

これはパウロの言葉ですが、パウロはキリストの集会の構成員一人ひとりに与えられる聖霊の賜物を正しく用いるように勧めると同時に、第一コリント12章14節で「体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。」と言っています。

キリストの民の集会(エクレシア)をわたしたちの体に喩えて、エクレシアの構成員、つまり、体の各部分(手とか足など)は、ほかの部分を必要とするように、信徒はお互いに高ぶることなく助け合って、そこに聖霊が住む神の宮であるエクレシアを建て上げるようにと言っているのです。

言い換えれば、キリストにある民の有機的結合体ということでしょうか。

ここの「教会」とあるのは、そのエクレシアのことで、今わたしたちがよく見る十字架の立っている立派な建物とか、牧師など聖職者が権威を持ち教会役員で運営される制度的教会ではなく、キリストの民の集会そのものを指しているのでしょう。

エクレシアと言う語も、最初の頃はキリストの民が集まる個々の共同体を指し、すなわち、家の集会をエクレシアと呼んでいたようですが、その内キリストにある民の一体性が強く意識されるようになり、キリストの民全体を指すようになり、単数形で用いられるようになったそうです。そうですね、全世界のキリストの民全体を一つのエクレシアと呼んでもよいのでしょう。

キリストの民の集まりは、本来上も下もなく、優劣もなく、人間的なものはないのです。

すべての人は神の下に平等なのです。互いに助け合い愛し合う人間関係が、御霊によって実現する場なのです。価値基準が一般社会と180度違います。

パウロは、キリストの民の集まりであるエクレシアを全体としてキリストの体と呼んでいます。

すなわち、キリストはエクレシアという姿で地上に体をもって、この地上の歴史の中で具体的に現れ働いておられるということでしょう。

キリストは、このわたしたちの体の中に聖霊として住んでおられます。

聖霊が住まわれているところは、聖霊の宮である神殿です。

御霊を宿したわたしたちが神殿ですから、エクレシアを構成するわたしたちキリストの民は、地上の様々な宗教の神殿や寺院にお参りする必要はないのです。またそういう施設を必要としないのです。

そのような聖霊を内住したキリストの民の集まりは、キリストの体であるエクレシアです。そして、その頭は、キリストご自身です。

わたしたちの人体の各部分は頭からの指令によって、それぞれの働きをしているように、わたしたちエクレシアの構成員である各信徒一人ひとりは、頭であるキリストの指示に従い、キリストからの賜物である様々な聖霊の賜物によって、キリストの御心を行うのです。

そして、その聖霊の賜物の中で、エクレシアという霊的共同体の指標になる賜物を、パウロによれば、信仰と愛と希望であるということでしょう。

聖霊の賜物として信仰と愛と希望があるところに、こうして人間の組織ではなく、聖霊の共同体が出現するのです。

この共同体の構成員である信徒は、キリストの福音によって集められ、その福音を全世界に告知することを使命とするのです。

この共同体(エクレシア)は、人種、国家、民族、宗教を問わないで、キリストの福音を受け入れ、聖霊が内住された人間がいるところであれば、キリスト教会はもちろん、どこにでも存在するのです。

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