教会はキリストの体
エフェソの信徒への手紙1章23節を読みます。
●23節.教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。
聖書の神は、昔アブラハムを選び、その子孫をご自分の民イスラエルとして、その中に働かれたように、今はキリストによって救いの業を成し遂げ、キリストを告知する福音によってキリストを信じる民を世界の諸民族の中から招いてご自分の民としておられます
新約聖書はその民の集まりを「エクレシア」と呼んでいます。
エクレシアは終わりの日に地上に創造された神の民の集まりのことです。
ここで「教会」と訳されている言葉は、「エクレシア」のことですから、いまキリストの民が集っている制度的教会とはちょっと意味が違います。
人間は必ず共同体を形成します。家族から民族まで同じ血筋で結ばれる共同体から、経済活動を共にする会社などの利益共同体、地域の共同生活の秩序を保つための共同体、法で律する国家まで、様々な種類の共同体を形成します。
しかし、このエクレシアは、そのような共同体と違って、独特です。
血縁とか地縁、民族、会社、国家のようではなく、また一切の利害関係とも無縁で、ただ同じキリスト信仰によって結ばれた民の利害を乗り越えた共同体です。
それは聖霊の働きによって神によって形成された神の愛がなされる共同体です。
制度的教会は、キリスト教という宗教によって、人間によって形成された宗教共同体です。それは祭儀と教義によって形成され歴史上の多くの宗教共同体の一つです。
エクレシアは、キリストの民の集まりを指し、制度的教会の外にあって、また、中にあって存在するのです。
したがって、制度的教会の中心はエクレシアであり聖霊なのです。もちろん、頭はキリストです。
神はキリスト教という宗教の共同体に働かれているのではなく、霊によって形成されるキリストの民の交わりの共同体(エクレシア)に働かれているのです。
パウロは、エクレシアは「キリストの体」であると言っています。
この「キリストの体」は、神が霊としてエクレシアに働いておられるキリストの働きの結果が人間の共同体の姿をとって地上に現れたものと言えるでしょう。
だから、キリストの神は神殿や教会堂の中におられるのではなく、キリストの民の信仰共同体エクレシアの中に働いておられるのです。
キリストの言葉、福音は終わりの日に現れた神の救いであり、聖霊はその福音の言葉を実現させる神の働きそのものと言えます。
それが、終わりの日に実現されると語られていた「神の支配」の現実です。
神の支配の中を生きているキリストの民の集まりであるエクレシアは、同時に価値基準がこの世とは正反対の世界です。
そのような基準で生きるキリストの民も、神から離反し、そこから派生するあらゆる罪に埋もれるこの地上の世界を生きていることになりますから、この世との激しい戦いの中にあります。
キリストの民(エクレシア)はその戦いの中で神の支配の勝利と完成を祈り、希望をもって生きるのです。
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