キリストの民が信じる神
ペトロの手紙第一 1章21節を読みます。
●21節.あなたがたは、キリストを死者の中から復活させて栄光をお与えになった神を、キリストによって信じています。従って、あなたがたの信仰と希望とは神にかかっているのです。
キリストの民が信じる神は、イエスを死者の中から復活させて全人類の救い主としての栄光を与え、キリストとされた神です。
この神を賛美しているのは、クリスチャンと言われる世界の一部の人々、今生きている人だけで三分の一程度ですから、既に亡くなった人々を含めればもっと多くの人々がまだキリストを知りません。
キリストの働きがすべの人に及ばないのは、キリストがまだ告知されていないか、告知されていても拒否している人がいるからと言えます。
なお、キリストの福音を知らないで亡くなった人の救いはどのようになるのかは、別の投稿で書きたいと思います。
ただ言えることは、この世の短い生の間に、たまたまキリストと出会わなかった、知ることができなかったから救われないというのは、すべての人が救われることを望んでおられる公平な憐れみ深い神様にしては、あまりにも不公平です。
しかし、この世ではキリストが福音を信じなければ何事も始まらないのです。福音を信じる者にキリストが働いて、死者を復活させる神を信じることができるという筋書きだからです。
キリストの福音を信じるということは、キリストを復活させた神を信じ、その者に御霊が内住され、永遠の命が与えられ、その者はこの現世において、死を克服する希望に生きることができるようになるということです。
これらのすべての出来事は、キリストという場における聖霊の働きでなされるのです。
世界には自称神とされる方は数多くおられますが、このような神はありません。
キリストの民は、自分の能力とか努力でキリストの福音を信じたのではなく、キリストの福音の告知を受けて、働く神の霊、聖霊の力によって信じ、キリストを復活させた神、信じる者を復活させる神を知って、その神を信じるに至ったのです。
といっても、この人類の救済者キリストを死者の中から復活させた神は、特定の宗教の神、キリスト教だけの神ではありません。
キリストの福音を受け入れれば、どのような宗教を信じていようが、そのままでこの神を信じて、死を克服する希望に生きるようになることができるのです。
そのような事態が早く来れば素晴らしいなとわたしは思っています。
一世紀のキリストの民は、ユダヤ教の中で「この道」と呼ばれた一派であったのです。
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