フォト
2023年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

« アガペーの愛 | トップページ | わたしはあなたを贖う »

2017年7月13日 (木)

神の子とする霊

ローマの信徒への手紙8章15節を読みます。
●15節.あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。

「福音は信じる者を救いに至らせる神の力」とパウロは言いました。

その言葉は、パウロ自身が御霊にあって自ら体験したことから出た言葉ですから、人を信じさせる力があるのでしょう。

もちろん、「神の力」ですから、そこには、神の御霊が福音を告知するパウロに働いているのです。

この神の力は、人間を罪と死の支配からの解放し、御霊にあって自由にするのです。

したがって、神からのものとされる良心を守れないことから起こる良心の呵責もなくなります。

このように、人間を罪の支配から解放した神の力である御霊は、人間を処罰し奴隷とするのではなく、父が子を愛する愛をもってその者を父と一緒に暮らす息子とする霊と言えます。

奴隷と父と子を対比しているのは、宗教がしばしば人を奴隷にするところがあるからでしょう。

キリストの福音は、人を罪の束縛から自由にするのですが、その反対は宗教の奴隷にある状態ですから、その人は、罪に支配されているということになります。

ということは、キリストの福音は宗教ではなく、真理なのです。

御霊に支配されているか、罪に支配されているかということでしょう。人を奴隷とする宗教が多いのですが、キリストの福音は人を自由にするのですから根本的に違います。

そして、キリストにおいて働く神の霊によって神の子とされた者は、その御霊によって神に向かって「アッバ、父よ」と祈ります。

聖霊に満たされて生きることによって、魂の奥底から湧きいでる父である神に対する思いが表に出て表現される場合には、そのような叫びとなるのです。

それは理屈ではないのですね。思いが心の底からあふれて出てくる言葉です。

それはまさにキリストにある者は、神の子だということです。その叫び自体が神の子であることの証ということになります。

「アッバ、父よ」のアッパは、アラム語で「お父様!」という意味だそうです。

なお、神の子は自由だと書きましたが、その自由は御霊が欲するところ(父なる神の意志)に従順であって初めて自由という意味ですから、何をしてもよいのではないのです。

わたしたちの不自由は、わたし達が作られた目的に沿って生きていないことから派生して生まれるものなのです。わたしたちは被造物であって、目的をもって造られているのならば、当たり前のことです。

もちろん、この従順と言うのは、神の子には御霊が宿られていますから、神の子は魂の奥底から父の意志を行いたいと願わざるをえない状態にあるので、内から自発的に発する願いによって行為することが、(父なる神の従わざるを得ないという意味で)従順であり自由なのです。


« アガペーの愛 | トップページ | わたしはあなたを贖う »

心に残る聖書の言葉」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 神の子とする霊:

« アガペーの愛 | トップページ | わたしはあなたを贖う »