栄光から栄光へ
コリントの信徒への手紙二3章18節を読みます。
●18節.わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。
わたしたちをキリストにあって働く聖霊の力によって、罪の支配力から解放して自由にしてくださった神は、同じ聖霊によってわたしたちを「主と同じ姿に造りかえる」ために働いておられます。
わたしたちを罪の力(自己中心性とサタンの支配)から解放しただけでは、わたしたちは何も変わりはしません。以前と同じ生活に戻るだけです。
そこで聖霊の登場なのですが、わたしたちは聖霊によって罪から解放されましたが、同時にその聖霊はわたしたちの内に住み続けて、わたしたちを「主と同じ姿に造りかえ」る働きをされているのです。
それは新しい人間の創造の働きです。
それでは、「顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら」とはどういうことでしょうか。
顔の覆いというのは、この世での生活の中で、伝統や習慣や宗教など様々な真理が見えなくするものを象徴しているのでしょう。
そのような覆いが鏡にかけられている状態では、鏡は光を反射しません。
つまり、神がキリストにおいて現しておられる栄光をキリストの民は映し出すことができません。
ところが、神の御霊、聖霊を内に持ち、神の支配下にあるキリストの民は、聖霊の働きにより覆いを取り除かれた鏡のように、キリストの栄光を映し出すようになるのです。
わたしたちの内に宿るキリストの栄光は、それを宿す者を造り変える働きをするのです。
パウロは神の御霊、聖霊が人間の本性と在り方を変えていく働きを、このように表現しているのです。
ですから、その変容の目標は、キリストと同じ姿・形で、その働きの主体は聖霊です。
御霊と共にその御霊の働きの現実を生きているキリストの民は、その過程を開始された神の信実に基づいて、その過程の完成を待ち望みます。
終わりの日と言うのは、救いのみ業が人間の歴史の中に働き実現する日です。
キリストの民はその完成を待ち望みます。
このように終わりの日は、特定の日を指すのではなく、一定の期間を指し、今は、終わりの日の時間の流れの中の一時期です。
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