わたしはあなたを贖う
イザヤ書43章1節を読みます。
●1節.ヤコブよ、あなたを創造された主は/イスラエルよ、あなたを造られた主は/今、こう言われる。恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。
新バビロニア帝国がペルシアのキュロス王によって滅ぼされた頃(539年)に預言活動を開始します。
キュロス王は勅令によってユダの民のエルサレム帰還を許可したので(539年)、ユダの民はエルサレムへ帰還できることになりました。第二イザヤはその先頭に立った人物の一人です。
預言者第二イザヤは、捕囚の地で打ちひしがれている民に向かって、解放の日が近いことを預言して民を励まします。
「わたしはあなたを贖う」と、イスラエルの民の神ヤハウェは、その民に向かって、イスラエルを創造したわたしがあなたたちを贖うと、第二イザヤを通して断言されます。
この「贖う」というのは、罪の贖いではなく、捕虜や奴隷の状態から救い出すことを意味する語だと言うことです。捕囚状態からイスラエル民族を救いだすということです。
第二イザヤに働かれた創造主である神は、イスラエルの創造者であり、わたしたち人類の、いや、天地万物を創造し、いまも保っておられる神と同じ神なのです。
その天と地の創造者である神が、「わたしはあなたを贖う」と世界に告知しておられるのです。
その告知が福音ですね。そしてその贖いの預言が、イエスの十字架死と、復活の出来事で実現したのです。
イエスを神は復活させてキリストとされ、このキリストの出来事において人を贖う働きを成し遂げられたのです。
贖い、つまり救いの働きは、わたしたちを存在させておられる創造主である神の働きと同じ根源から出ているのです。
したがって、神とはどこか遠いところに鎮座しておられるのではなく、わたしたちの内でわたしたちのために働いておられる方、天地万物を存在させ、わたしたちを存在させておられる働きそのものです。
キリストとは救い主ですが、言い換えれば、このコスモス(辞書では、一般的に、宇宙を秩序ある、調和のとれたシステムとみなす宇宙観としています。)の存在の根底である創造主の働きが人間の救済のために働くときの姿を指す呼び名と言えるでしょう。
福音とは、2000年前にイスラエルのナザレでお生まれになった大工の息子イエスにおいてキリストが世に現れたと告知することです。
キリスト出現の告知こそ、神から離反し、派生するいろいろな罪の中に沈む人間が本来の在り方、本来いるべき場に回復する唯一の手段が示されたのですから、人間にとって、究極の喜びの告知です。
聖書の神を認めない人でも、人間は自分の窮状を自覚し、救いが必要なことをよく知っています。
また、いかなる宗教も、あらゆる人間的な教えも、そのほか世界が提供するいかなるものにもその解決と平安を見出すことができないことも知っています。
そういう状況は人類が生まれた古代から今も変わらないのです。本質的に人間は何も進歩していない事も知っています。
キリストの福音はその原因を、すべての人は罪に陥っているので神の栄光を受けられなくなっているのだと表現しています。
罪というのは様々な規範に背く諸々の行為ではなく、自分の存在の根底である神に背いている在り方、むしろ神に背かせる力(聖書はサタンの働きと言っています。)に支配されていることを指しています。
その結果、創造された神の創造のご計画に沿って生きることが出来なくなっているので、現在のような悲惨な状態にあるわけです
神はわたしたちの創造者であり、命の根源ですから、神から離反したままのわたしたちの行きつく先は死(霊的)です。
聖書はこのような人間の姿を、罪と死の力に支配されている者と表現しています。
神は御霊によってわたしたちを存在させようと働いておられます。その働きがキリストにおいてわたしたちを救う働きであり、罪と死の支配から救い出す働きなのです。
ご自分に背き去った者をそのまま受け入れる神の愛がそのようにさせるのです。
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