教会はキリストの体
エフェソの信徒への手紙1章23節です。
●23節.教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。
今回は、キリスト教会の意義について考えてみたいと思います。
中世ヨーロッパにおけるキリスト教会は、戦争と殺戮を繰り返していました。
その様は、イエスの教えとはかけ離れたものです。
かねてからわたしはそのようなキリスト教会をどのようにとらえればよいのか疑問に思っていましたが、ここで改めて、教会と言うキリスト教の組織を考えてみたいと思います。
教会の原語は「エクレシア」と言うことです。
「エクレシア」とは、キリストを告知する福音によって世界の諸民族の中から招かれたキリストを信じる民のことを言っているのです。
だから、正確には今の時代にあるような制度的組織、祭儀と教義によって形成された宗教団体であるキリスト教会ではないのです。
エクレシアは、キリスト者の組織ではなく、終わりの日に地上に創造された神の民のことです。言い換えれば、キリスト教と言う宗教によって形成された共同体ではないのです。
キリスト教と言う宗教によって形成された制度的な共同体は、祭儀と教義によって形成されている歴史上の多くの宗教共同体の一つです。
中世ヨーロッパにおいて戦争と殺戮を繰り返してきた教会はそういう教会が国家権力と結びついた結果だと言うことです。
人間は一人では生きられません。必ず共同体を形成します。
つまり血縁関係で結ばれる家族とか民族から、経済活動を共にする会社などの利益共同体、地域の共同生活の秩序を法で律する国家まで、様々な種類の共同体が人間の生活を造り上げています。
その中でエクレシアは、血縁とか地縁、また一切の利害関係とも無縁で、ただ同じキリスト信仰によって結ばれた共同体です。それは聖霊の働きによって 形成された共同体です。
そのように、エクレシアは聖霊によって形成された教会ですから、目に見えないのです。
目に見えないエクレシアは、キリスト者の居る所、聖霊が働かれているところであれば、キリスト教会の中においても外においてもどこにおいても形成されるのです。
たとえほかの宗教団体の中においてもです。
キリストの聖霊によって形成されたエクレシアは、キリストの体です。霊なるキリストの働きの結果が人間の共同体の姿をとって地上に現れたものと言えます。
だから、キリストの神は神殿や教会堂の中におられるのではなく、キリスト者の集まりであるキリスト共同体の中に働いておられるのです。
キリストは終わりの日に現れた神の救いですから、キリストの御霊、聖霊は終わりの日に実現した神の救い、神の支配の働きそのものになります。
キリストの民の集まりである共同体は、この地上で2000年前に始まった終わりの日の神の支配(神の国)の中を生きています。
しかし、そのキリストの民は、この世を生きる限り、古い人間性、生まれながらの人間の性質をもったままですから、聖霊の働きとしての神の支配(神の国)の中をこの世と闘いながら生きていることになります。従って、道に迷うことも、罪を犯すこともあります。
しかし、やがてその共同体は、過去現在未来のすべての人に広がり、神の支配の勝利と完成に至るのです。
したがって、キリストの福音を告知する神の民の集まりであるエクレシアは、国家権力と結びついた中世ヨーロッパにおける宗教団体である制度的なキリスト教会とは、全く別物だと言うことです。
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