信仰と愛と希望
第一テサロニケ1章3節を読みます。
●3節.あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐していることを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです。
キリストの民は、創造者である神に背いている人間の罪を贖ってくださったキリストにすべてをゆだねて歩んでいます。
その救いの告知であるキリストの福音を信じて、キリストの民は歴史の中を歩むのですが、その中に聖霊として神は力強く働いておられます。
具体的には、キリストの民は、イエス・キリストによる贖いと終わりの日の完成という二つの決定的な神の時の間を、聖霊が神の民に与える信仰と愛と希望をもって歩んでいます。
キリストの民は、キリストにあって神を信じている民です。
その民の集会は、キリストにあって贖われ、聖霊の働きによって新しくされ、その歩みの中で交わりを持つ人たちが形成している共同体です。
この共同体の人々の信仰の姿は、「あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。」(ローマ8章1節)とある通りです。
また、このキリストの民の共同体は、愛(アガペー)によって形成される共同体です。
わたしたち人類は、男女の愛、親子の愛、友人の愛、正義への愛、祖国愛など、何らかの愛によって共同体を形成していますが、神の民であるキリストの民は、そのような生まれながらの人間に備わっている愛ではなく、キリストにあって賜った恩恵によって、神の愛、敵対する者をも無条件に赦して受け入れる愛という別種の自己犠牲の愛によって共同体を形成します。
イエスは、ヨハネの福音書15章13節で「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」と言われています。
神の愛の究極の姿です。
この愛(アガペー)は、イエスの「敵を愛しなさい」という有名な言葉に代表されます。
神の恩恵の中に生きる者の生き方を示しているのでしょう。
そして、キリストの民は、キリストが神の子としての栄光を現される時を待ち望んでいます。
この世にあって、キリストの民の中には、聖霊によって永遠の命が生まれていますが、御霊は、この体は古い肉の体の中で、そしてこの悲惨な人間の歴史の中で呻いています。
しかし、やがてキリストの民は、神が万物を新しくされる終わりの日には、新しくされたすべての被造物と共に新しくされ、キリストと共同の相続人として神の栄光を現すことになります。
これをパウロは、「死者の復活」と呼んでいます。
同時に、これがキリストの民の希望です。ローマの信徒への手紙8章24節「わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。」とある通りです。
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