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2017年7月16日 (日)

再臨

テサロニケの信徒への手紙一4章16・17節を読みます。
●16節.「すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、

●17節.それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。」

これは主イエスの再臨についてのパウロの言葉です。的確に書かれていますので取り上げました。

そして、「その時と時期」(同5章1節)については、その時は突然到来するので、「盗人が夜やって来るように、主の日は来るということを、あなたがた自身よく知っているからです。」(同5章2節)としています。

同5章3節で、「人々が「無事だ。安全だ」と言っているそのやさきに、突然、破滅が襲うのです。

ちょうど妊婦に産みの苦しみがやって来るのと同じで、決してそれから逃れられません。」として、その日が来ることは避けられないこと、必然であると言っています。

「妊婦に産みの苦しみがやって来る」というのは、出産には痛みが伴いますから、それと同じように、世界の最終的な決着の際の痛みは必然だと言っているのです。

それは、それまでにその必然を蓄積していたからということでしょう。

主イエスが来られるときに起こることは、神に敵対する世界にとっては終局の事態です。「破滅」です。

「無事だ。安全だ」というのは、自分たちの能力とか力を誇ることを指しているのでしょうから、そのように思って安心していると、「そのやさきに、突然、破滅が襲うのです」。

言い換えれば、自らを神とする傲慢に対して、「神の怒り」が臨むのです。

この「破滅」は、「来るべき怒り」(同1章10節)ですから、将来にやって来る逃れることのできない神の必然です。
現実の世界情勢を見ているとなぜだか納得します。

また同1章10節には、「・・この御子こそ、神が死者の中から復活させた方で、来るべき怒りからわたしたちを救ってくださるイエスです。」とありますから、主イエス・キリストを信じる民にとっては、その日は「来るべき怒りから救い出され」、復活して、いつまでも主と一緒にいることができるようになる日(同4章15節から17節)だということでしょう。

しかし、その日にいたるまでは、主に属する民は神に敵対するアダム以降この世で蓄積された必然によって苦難に遭わなければならないのです。

その苦難を、出産に喩えて産みの苦しみと表現しています。

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