死んでも生きる
ヨハネの福音書11章25節と26節を読みます。
●25節.イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。
●26節.生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」
凄い言葉です。これをわたしたちが言ってもおそらく誰も信じないでしょう。
気が違ったと思われるのが落ちです。でも、イエスはその言葉を世界に向かって宣言しました。弟子たちはその言葉を信じて、生涯を通して命をかけて世界に告知したのです。
イエスに選ばれた最初の弟子である十一人はもちろんのこと、その言葉を受け継いだ現在に至るまでの代々の弟子たちが生涯命をかけて信じたのです。
それは、その人たちが神の意志である聖霊の働きを現実に身を持って体験したからと言えます。
ヨハネの福音書でイエスはつねに「わたしが・・・・である。」と宣言するのです。
このような言い方は、神が自己顕示される時なのですが、イエスもご自分についてその様に宣言されるのです。
そう、このように宣言されるイエスは地上におられるときの肉体をまとったイエスではないのです。霊となり復活されキリストとなられたイエスが宣言されているのです。
福音書著者からみれば、地上のイエスと復活されたイエスが重なっているのです。
そして、「わたしを信じる者は~生きる」とも宣言されます。イエスを復活者キリストと信じる者が受ける救いの現実を述べているのでしょう。
「生きる」ですから、その救いは未来に来るのではなくすでにあなたの内に来ていると言っているのです。
その救いの内容は永遠の命です。イエスを復活者キリストと信じるこの福音書を生みだしたヨハネ共同体は、このような形でイエスを信じる者は永遠の命を得ると世界に告知しているのです。
もちろん、この言葉は聖霊に満たされて福音書著者が書いているので、聖霊が語らしめた言葉ですから、復活したイエスの言葉でもあるわけです。
ヨハネ福音書は永遠の命を告知するだけではなく、永遠の命に至る道をも指し示します。
それが25節の「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。」です。この「わたしを信じる」は、イエスの言葉を信じると言うことです。
わたしたちの生まれながらの命はかならず死にます。
しかし、イエスの言葉を信じる者の内には聖霊が内住されて、すでに復活に至る質の命への変容が始まっているのです。その命は神と共に生きることができる永遠の命です。
この神の御霊、聖霊によって賜る新しい命が来世への希望をもたらせ「死んでも生きる」と著者に叫ばせているのです。
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