永遠の命
ヨハネの第一の手紙1章2節を読みます。
●2節.この命は現れました。御父と共にあったが、わたしたちに現れたこの永遠の命を、わたしたちは見て、あなたがたに証しし、伝えるのです。
ヨハネの福音書の著者ヨハネは、自分の人生体験の中で、つまり、イエスとの関わりの中で、直接「わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたもの」(1章1節)を伝えますと言っています。
それはすなわち命の言葉について・・。
すなわち、約2000年前にこの地上におられたイスラエルのナザレのイエスが、神の言葉を体現している方として世界に証言し告知しているのです。
ヨハネがその生涯の終わりにその告知をまとめて文書にしたのがこの手紙だと言うことです。
それでは、「わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたもの」とは何を指すのでしょうか。
それは、イエスの十字架刑死と復活のことだと思います。
その出来事を見てヨハネはイエスが神の言葉を体現した存在だと自己の生涯をかけて、命をかけて告知しているのです。
ヨハネは、自分が実際に目撃したイエスが、新しい神からの命の現れだと言っているのです。いや、叫んでいるのです。
「新しい神からの命」とは、わたしたちが生まれながらに生きている命とは別の、神から与えられる新しい命のことです。その命は、死に打ち勝つ命ですから永遠の命です。
おそらくヨハネは、自分たちが今体験している交わり、つまり、ヨハネの共同体が、現実に父なる神と同時に御子イエス・ キリストとの交わりの中にあると言うことです。
イエスの言葉を信じ受け入れる者は、神の御霊、聖霊の働きによって御子イエス・キリストとの交わりに与ることができ、そして、イエスの唯一まことの父なる神との交わりに入ることができると言うことでしょう。
神との交わりを現実にすることが、まことの宗教であり、究極目標であると言えます。
よって、人間存在の意義と目標が明らかになり、神の被造物である人間として、造られた目的に沿って生きる命の喜び、それは、命の根源である神の愛に満たされることによって得られるのです。まさに活きるのです。
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