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2017年6月28日 (水)

神の愛とイエスの死

ローマの信徒への手紙5章8節を読みます。
●8節.しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。

イエスが十字架につけられて死なれた事実は、四つの福音書のすべてに詳しく伝えられています。それは最も重大な出来事であって、福音書は全体として、イエスの十字架の死を世界に告知している文書だと言えます。

この聖句は、使徒パウロがローマの信徒へ書き送った手紙の一節です。

パウロは生前のイエスに直接教えを受けてはいないし、逆にイエスの弟子たちを迫害する者であったのですが、復活されたイエスに出会い弟子となりました。

ある意味、立場はわたしたちと同じだと思います。

復活されたイエスがパウロの人生を180度変えたのです。

世界の歴史を顧みて、イエスを含めて実に多くの偉大な人物が現れて、偉大な働きをしましたが、その偉大な人物の死が人類の救済者として告知されるのはイエスだけです。

何故でしょうか。それは、イエスの死はキリストの死だからといえないでしょうか。

十字架につけられて死なれたイエスを神は復活させて、このイエスこそキリスト、すなわち神が世界に遣わされた救済者であるとされたからと言えます。

そして、そのことはその後現在まで2000年間、国家とか文化とか宗教にかかわりなく、イエスの言葉で多くの人々が救われた事実、多くの人々の人生が変えられた事実を見れば明らかです。

福音書はイエスの十字架の死が聖書の預言に従って起こった出来事であることを強調しています。キリストは神のご計画に従って死なれたのです。キリストの十字架において、神が働き、そのご計画を成し遂げておられるのです。

その働きとは背く人間の贖(あがな)いです。神がキリストの十字架において贖いを成し遂げられたのです。

わたしたち人間は、自分の存在の根源である神に背を向け、神から離れ去り、自分自身で存在しているとし、自分で存在の意味を見いだそうとしています。

この神への背きがあらゆる罪の根源なのです。

ところが神から離反している状態では、自己の存在の意味など分かるはずもなく、そう、被造物が創造主の創造の目的から外れて、自分で歩き始めたから、造られた者は、自分がどこから来てどこへ行くのか、なぜ生きているのかわからないのは当たり前です。

そして、この宇宙には神に敵対する力、サタンがいますので、さ迷える被造物がそのサタンに支配され(騙され唆されて)、背きから派生するもろもろの罪の中で呻き苦しんでいるのです。

被造物である人間が、罪の支配から解放されて幸せになるためには、創造の目的に沿って生きることが必要なのです。

神は御子イエスを十字架でサタンに支配された人間の手によって殺すことにより人類の罪を贖われて、人間をご自分の方に引き寄せて創造の目的を達成しょうとされているのです。

そのことによって、サタンの罪状は明らかになり、神はそのサタンを滅ぼし、サタンに支配された人類を罪の中から救いあげる意志、すなわち愛を示されたのです。

神はわたしたちを、新しい人間に造り変えて、新しい天地を創造し、造り変えられた新しい人間とその新しい天地で、人格的な交わりの中に生きることを最終の目的にされているのではないかと思うのです。

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