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2017年6月26日 (月)

最も大いなるものは愛

コリントの信徒への手紙第一13章13節を読みます。
●13節.それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。

この言葉は、使徒パウロが聖霊の賜物についてコリントの信徒に書き送った手紙の中の一節です。

パウロは賜物によく触れています。現在でも賜物のことはよく聞きますが、ほとんどがその人の信仰とか知識とか能力とか健康とか置かれた環境とかに用いられます。

霊的な賜物に注目することが少ないように思います。

しかし、パウロが上げる賜物には、預言する者とか異言とか病気の癒しなど霊的な賜物に注目するところが多いように思います。

それは現在と違って当時は聖霊の働きが著しく活発であったからだと思うのです。

その様な中においてパウロは、「最も大いなるものは、愛である。」と語っています。

その理由としてパウロは、「愛は決して滅びない。預言は廃(すた)れ、異言はやみ、知識は廃(すた)れよう、わたしたちの 知識は一部分、預言も一部分だから」と言っています。

このように賜物の中でも、知識や預言や癒しなどの霊の働きは部分的・一時的であり、やがては廃れるものであると言っていますが、「信仰と愛と希望」の賜物はいつまでも残ると言っています。

なぜいつまでも残るかと言いますと、この三つは、聖霊はその人の生涯に、人間性に根底から関わるからだと思うのです。

そして、新しい命の、新しい人間の創造の働きに関わるからだと思うのです。

霊が実を結ぶと言うのはそういうことなのでしょう。

信仰とは、もちろん、神との関わりという宗教的次元の問題で、祈りとか霊による礼拝が担うのでしょう。

愛とは、隣人との関わりという社会的次元であり時間の中にいるという歴史的次元であります。

具体的には、敵であっても無条件の愛をもって、隣人を自分を愛するように愛することでしょう。

希望とは、前にも書きましたが、復活者キリストがイエスの言葉を信じる者の内に生きておられるので、その者が将来における死からの復活と神の国、神の支配の完成を神の約束として、希望として生きる事態だと思います。

その完成の保証としてキリストを信じる者は神の御霊、聖霊を宿しているということだと思います。

最後にパウロは、その中でも愛を「最も大いなるもの」と呼んでいます。

コリント信徒への手紙第一13章2節でパウロは「たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。」と言ってます。

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