わたしの内に生きておられるキリスト
ガラテヤの信徒への手紙2章20節を読みます。
●20節.生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。
凄い言葉です。生きているのはもはやわたしではないと言っています。
この言葉は、パウロの今の心境なのでしょうが、今生きているのは、自分のために生きるこれまでのわたし、つまり、生まれながらの古い命に(パウロは肉と言っています。)生きるわたしではなく、キリストだけを頼りにキリストのために生きる別の新しい命に生きるわたしがいると言っています。
言い換えれば、生まれながらの命である肉のわたし、つまり、自己本位に生きているわたしはキリストの十字架に合わせられて死に、今わたしの内で生きているのは、キリストに合わせられて生きるわたしですといっているのです。
だから、このキリストに合わせられて古い自分に死に、キリストに合わせられて新しい自分に生きているこのわたしは、また、キリストの復活に合わせられることになるのです(ローマの信徒への手紙6章5節)。
それがキリスト者の希望となります。
この、肉の自分、古い自分に死ぬと言うのは自我が打ち砕かれて、「キリストがわたしの内に生きておられる」という新しい命のわたし、つまり、キリストと一つになって生るわたしということでしょう。
そのようなわたしは、わたしを存在させて下さっている神の御心に沿った、いや、ご計画に沿った本来のわたしということになります。
この本来のわたし、この失われている本来のわたしを取り戻すことがわたしの救いであり完成です。これがキリスト教の神秘です。
これらのことはすべて神が支配されている場、神の恩恵の場に働く神の霊、聖霊の働きが成し遂げて下さるのです。
人間の側には何もすることはない、つまり、祭儀とか修行とか道徳とか知識とかなどの行いは全く必要ないのです。
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