求めなさい
マタイの福音書7章7節と8節を読みます。
●7節.「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
●8節.だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。
この「求めなさい。そうすれば、与えられる・・・・」 というイエスの言葉は有名ですね。
わたしもキリストを知らなかった若い時にこの言葉は知っていました。
一般的には、諦めずに努力すれば必ず報われるという励ましの言葉として世間で広く用いられていると思います。
最初にこの言葉に出会っときに、わたしは思ったのです。現実は全く逆ではないかと。どうすれば求めれば与えられるのかと。
わたしたちの現実は、求めても与えられず、探しても見つからず、門をたたいても開かれません。
何を求めているかと言えば、お金が欲しい、家を買いたい、一流企業に就職したい、あの学校に入りたい、わたしを幸せにしてくれる結婚相手はいないだろうかなどなどです。
希望の会社や学校の門をたたいても門は開かれません。
それを獲得できるのは、努力もさることながら、才能や境遇に恵まれたごく少数の人だけです。
この世界では、求めるものを獲得するには厳しい条件がつけられ、ふさわしい資格が要求されます。これが現実です。
イエスは「求める者は与えられる」と宣言し、その理由として「だれでも求める者は与えられるからだ」と言われます。
「だれでも」ということは、与えられるための条件や資格を何もいらないと言うことです。
「だれでも」求めさえすれば与えられるのです。現実の世界は、誰でも与えられないし、何を求めても条件や資格に縛られます。
そうすると、標題の聖句のどこに問題があるのでしょうか。何を求めるかが書いていないのがみそですね。
それに、イエスの言っておられることは、いつも神と人間にかかわることですから、何を求めるのかは、それは現実の世界の物ではないと言うことが分かります。
神は恩恵の神であり、愛の神で、それも良い物を与えて下さる方です。イエスはそういう神をわたしたちに示されました。
ここには「良い物」が何かは書いていないのですが、ルカの福音書11章13節に「このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。
まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」とありますから、明らかに良い物とは神の御霊、聖霊のことを言っているのだと思います。
まとめると、イエス・キリストを信じて、求める者はだれでも、無資格、無条件・無代価で神の御霊を与えられ、その御霊によって信仰と愛と希望と言う形で表現される新しい命、永遠の生命に生きることができる。
それがあなたたちの希望となると言っておられるのでしょう。
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