決して渇かない
ヨハネに福音書4章13節から14節を読みます。
●13節.イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。
●14節.しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」
この言葉は、イエスがサマリアの女性に語られた言葉ですが、同章21節以降を読むと復活されたキリストが全人類に向かって語られている言葉でもあると推測できます。
イエスがここでサマリアの女に語られている言葉は全て未来形だと言うことですから、そういうことでしょう。
そうであれば、復活されたキリストが、わたしたちに何を与えようとされているのでしょうか。イエスはそれを水という象徴で語られています。
その水を飲む者はいつまでも渇くことなく、飲む者の中で泉となって湧き出るという不思議な水として語られます。この水は何を象徴しているのでしょう か。
それは神の御霊、聖霊です。
イエスが地上におられる時は、まだ神の霊、聖霊はイエスと一時的に特定の人にのみ降られて、まだ万民のために降られる状態ではなかったのです。
そのためには、イエスが十字架上で万民のための贖いの業を成し遂げて復活し、神のもとに帰られることが必要であったのです。
こうして初めて、復活されたキリストを通して神の霊、聖霊が全ての人々にあまねく降ることになるのです。
復活者キリストはこうして御自分のもとに来る者に神の霊、聖霊を与える方となられたのです。
復活者キリストの言葉を信じて聖霊を与えられることを聖書は「聖霊のバプテスマ」と言っています。聖霊を与える働きは、すでにこの時から休むことなく始まっています。
「わたしが与える水」、すなわち復活者キリストが与えてくださる御霊、聖霊は無代価で、無条件で戴ける神の恩恵の賜物です。
それは、イエス・キリストの言葉を信じ、求めるならばだれでも与えられるのです。
その御霊によって、わたしたちイエスの言葉を信じる者の内に働き、今まで生きてきた命とは別の性質の命が動き出します。
その命は、今生まれながら持っている何れ死ぬべき定めにある古い命と違って、聖霊によって生まれる新しい命です。
その命はこの死ぬべき体の中にありながら、その死によって滅びることのない永遠の命が生き始めるのです。
その命はわたしたちの内にありながら、身体の状態とか生活状態などがどうであれ、その命はわたしたちの内に充満し、わたしたちに生かされている喜びを溢れるほどもたらせます。
そのことを「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」という象徴で語られているのでしょう。
聖霊が働かれる時、わたしたちは何とも言えない喜びと平安に満たされます。
これはわたしも体験している事実です。
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