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2017年6月24日 (土)

神の栄光にあずかる希望

ローマの信徒への手紙5章2節を読みます。
●2節.このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。

キリスト者であることの喜びは神の御霊、聖霊の働きによってもたらされる平安と喜びです。それは来世への希望でもあります。

この世で出世するとか財産を築くことはではありません。けれども、この世に生きる限り、すべての人と同じように人生の様々な苦難にも会います。

しかし、その苦しみの中でも来世への希望を持つことによって喜ぶことができるのです。

わたしたちはアダム以降、神から離反して神との霊的な交流は断たれて、命の根源である神から切り離されて暗闇の中でうごめいています。

そして、神から離反したことから派生して生まれる罪(憎しみとか戦争とか殺戮など)の中でもがいています。不条理な出来事が人間社会にまん延しているのが現実です。その様は絶望的でさえあります。

そのような中で、キリストの福音を受け入れると授けられる希望とは、その人間が再び神の栄光にあずかる者(アダム以前の人間の姿)となるという希望です。

その希望は、この世で実現するものではなく、この世を超えた永遠の世界という将来への希望です。

神は十字架につけられたイエスを死者の中から復活させてキリスト(人類の救済者)とされました。福音は、キリストであるイエスに属する民が死者の復活にあずかることによって救われることを告知するものです。

パウロは、キリストの復活はキリストを信じる者の復活を証し、キリストの御霊によって生まれる新しい人間の初穂(コリント第一 15章)だと言っています。

神の栄光にあずかる希望は、福音においては死者の復活に与るという具体的な(体を具えた)形で告知されているのです。

パウロはキリスト者の希望を次のように言っています。

「わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。」(ローマ書8の24)

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