信仰と希望と愛
テサロニケの信徒への手紙第一1章3節を読みます。
●3節.あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐していることを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです。
これは使徒パウロがコリントからテサロニケの人たちに書き送った手紙の挨拶文の一節です。
パウロはキリストにあって生きるようになったテサラリニケの人々に生きざまを「信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐」と表現しています。
パウロはキリストに結ばれ、キリストにあって生きる現実をキリスト信仰(キリストを対象とした信仰ではない)と呼び、愛はキリストの愛、希望はキリストの希望のことを言っているのです。
この信仰と愛と希望はキリスト信仰における聖霊によって賜った新しい命の現れでありますからこの三つは切り離すことはできないのです。
なお、「キリストの愛」 とはキリストを愛する愛というよりも、キリストにあって受けている無条件の恩恵の愛に生きている現実を言っているのでしょう。
現れとしては、無償の見返りを求めない与える愛、隣人愛ということでしょう。
そして、「キリストの希望」とは、復活者キリストがイエスの言葉を信じる者の内に生きておられるので、その者が将来における死からの復活を神の約束として、そのことを希望として生きる現実を言っているのでしょう。
このようにして、キリストにあって生きる者は、この不条理が満ちる苦難に満ちた人生において、忍耐をもって労苦をいとうことなく、希望に満ちた生き方ができると言えるのでしょう。
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