人間と同じ者
フィリピの信徒への手紙 / 2章7節と8節を読みます。
●7節.かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、
●8節.へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。
ここの主語はキリストです。
このキリストは、「神の身分であり」、「神と等しい」方です。
そのキリストが、神と等しい者であることに固執せず、「自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられた」のです。
このキリストは「人間の姿で現れた」だけではなく、「へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順」(8節)に神の意志に従われました。
聖書(新共同訳では)のこの聖句が含まれる個所の副題は「キリストを模範とせよ」となっていますので、まさしくキリスト賛歌です。
キリスト賛歌は、その前半で、死に至るまで御自分を無とされたへりくだりを歌っています。
この自分を無にして、十字架の死に至るまで自分を低くしたキリストを、「神は高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました」(9節)。
その名の前には「天上のもの、地上のもの、地下のもがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。」(2章10節、11節)
神が、自分を十字架の死に至るまで低くされたイエスを、死から復活させて、神と等しい座、すなわち主キリストという座に、高く引き上げられたことを歌っています。
ここでわかることは、まさにキリスト信仰は、復活信仰だと言うことだということです。
そこには、キリストの受肉とへりくだりと復活、すなわち、イエスは復活によって神と等しい座に上げられたキリストの受肉であるという信仰を含んでいると思います。
そのキリストを賛歌しているのだと思います。
キリストの復活(受肉したイエス)を信じて生きる者は、自分を無にされたキリストに合わせられて自分を無にして生き、キリストが復活されたようにやがて霊の体で復活するのです。
そして、すべての舌が「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。」。
すべての舌ですから、ユダヤ人も異邦人も、つまり、キリスト教徒もイスラム教徒も仏教徒もです。
父なる神を父なる神をたたえるのですから、最終的には全ての人が救われるのです。
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