初穂となられました
コリントの信徒への手紙第一15章20節を読みます。
●20節.しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。
パウロはキリストの福音の要点については、コリントの信徒への手紙第一15章3節から5節で「キリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり、三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです」と書いています。
この聖句は、キリストの死はわたしたちの罪を贖うための死であると、その意味を明確に述べているのですが、復活については「三日目に復活し、ケファに現れ、その後十二人に現れた」という事実が述べているだけで、その出来事の意味は述べていません。
そこで、この20節の聖句の「・・眠りについた人たちの初穂となられました。」というのがその復活の出来事の意味ではないかと思うのです。
わたしたちは何れ死んで「眠りについた人たち」になりますが、キリストにある者はやがて復活します。イエス・キリストは、その復活の初穂として復活されたということです。
キリストが復活されたことは、キリストに倣って生きるキリストを信じる者が復活することを保証するものです。
「初穂」というのは、キリストが復活されたのは、キリストは、キリストを信じる者の代表として真っ先に復活されたということでしょう。
パウロはこのように言っています。「死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです。」(コリントの信徒への手紙第一15章13節)
さらにパウロは、「そして、キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。」(コリントの信徒への手紙第一 15章14節)と言っています。
キリストが、復活しなかったのならば、わたしたちも復活しないのですから、そこには(来世への)希望もないので、福音を伝える宣教も無駄だということでしょう。
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