共におらせて下さい
ヨハネの福音書17章24節を読みます。
●24節.父よ、わたしに与えてくださった人々を、わたしのいる所に、共におらせてください。それは、天地創造の前からわたしを愛して、与えてくださったわたしの栄光を、彼らに見せるためです。
パウロは、ローマの信徒への手紙8章34節で次のように言っています。
「だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。」
使徒たちとその時代のキリストの民は、聖霊の力強い(イエス運動の勃興期であったので、聖霊の働きは今よりはるかに活発であったと思います。
)働きの中で、このような復活者キリストの執り成しを身近に実感しながら歩んだのだと思います。(ローマの信徒への手紙8章26節参照)
この24節はそのイエスの執り成しの祈りです。
復活者したキリストは、御自分に属する者たちが御自身のおられるところに、すなわち復活が約束された命の中に共にいることを願って、そうなるように父に執り成しておられる祈りです。
そのキリストの願いが分かっているから、わたしたちは自己中心的な欲望と闘いながら、やがて、キリストのようになることを、死者の中から霊の体を得て復活することを願い、それを目標として、つまり、希望としてこの世を歩むことができるということでしょう。
その様な生き方を次のように表しています。
「主は、わたしたちのために死なれましたが、それは、わたしたちが、目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです。」(テサロニケの信徒への手紙第一 5章10節)
この中で、「目覚めていても」は生きている状態、「眠っていても」は死んでいる状態を指します。
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