信じてはならない
マルコの福音書13章21節を読みます。
●21節.そのとき、『見よ、ここにメシアがいる』『見よ、あそこだ』と言う者がいても、信じてはならない。
この聖句は、イエスが終わりの日に起こるべきことについて語られたた言葉の一つとして伝えられているものです。
イエスは、終わりの日にはキリストを名乗る者が大勢現れ、「わたしがそれだ」と言って、多くの人を惑わすと言っておられます(同章6節)。
神の支配が完成(神の支配はイエスがこの地上に来られた時から始まったが完成していない。いまはその過程にある)する前に起こる混乱の時代に、多くの「反キリスト」 が出現することを予言しておられるのです。
「反キリスト」とは、キリストとしてのイエスに対抗して、自らをキリストと称する者のことです。
だから、キリスト教とかキリスト教会に対抗する勢力を指すのではありません。
日本においても オウム真理教の麻原教祖が1991年にキリスト宣言をしましたが、これは典型的な反キリストです。世界を見渡せば、自らをキリストと称する教祖が何人かおられます。
誰にでもわかる両者の典型的な違いは、すべてが当てはまるとは思いませんが、一応違いをあげておきますと、イエスは人類の苦しみを自ら背負うことによってキリストとなられましたが、反キリストは、人びとの苦しみを踏み台として自分が世界を支配する者になろうとしています。
イエス・キリストは敵をも愛し、その救いを祈るように求められましたが、反キリストは、敵対する人々を無差別に殺すことが世界救済の道だと説いています。
また、有名なハルマゲドン(最終戦争)については、イエスはそういう事態がいつ来るのかを計算することを厳しく禁じ、そのようなことよりも、神の恵みと慈愛に生きることを求められています。
反キリストは人類の破局の日を特定し(何も起こらなかったら変更しますが)、信者を不安に陥れて、信徒を支配します。
自分たちだけが生き残るためにオウム真理教はサリンという大量殺戮兵器を準備しました。
イエス・キリストは他者に仕えることを求められましたが、反キリストは詐欺と暴力と洗脳によって人格を破壊し、人を自分の奴隷ないしロボットにして支配しています。
このように思いますが、間違っていたらすみません。
« この人のしたことも記念として | トップページ | 最後の敵 »
「心に残る聖書の言葉」カテゴリの記事
- わたしたちは待っています(2017.08.16)
- 御子はその体である教会の頭(2017.08.15)
- 死者の中から復活(2017.08.12)
- 福音は愛の言葉(2017.08.10)
- あなたがたも生きることになる(2017.08.09)
コメント