愛は
コリントの信徒への手紙第一13章7節を読みます。
●7節.愛は「すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」
国と国は戦い、民族と民族はいがみ合い、人が人を殺し、憎しみが渦巻く殺伐とした人間社会。不条理がまかり通る人間社会にも愛はすたれることなく人間の基本的な本性として生きています。
愛は、わたしたちに一時の心の安らぎをもたらせます。
ただ、愛は愛でも本性として持っている愛は、変質しやすいもので、壊れやすいものです。生まれ育った環境にも大きく影響されます。
なぜならば、その壊れやすい愛のほかにわたしたちが本性として持っているもう一つの性質である自己中心的性格(自己愛=偽善とか嫉妬)は、正反対の性格を持ちますから、愛をなそうとする人間を苦しめるからです。
愛は心に安らぎをもたらせ、人間的な絆を強くしますが、同時にそこに自己愛が生まれると、心の中に葛藤というか、矛盾が生まれわたしたちを苦しませます。
しかし、聖書の言う愛は、アガペーの愛ですから、自己愛ではなく自己犠牲の愛です。
自己愛とは正反対ですから、その矛盾を修復するのです。
アガペーの愛は、自分に不利益をもたらす相手をも無条件で受け入れる神の愛です。元々人間に備わっているものではなく後天的に神から与えられた愛なのです。
アガペーの愛は、後天的に与えられた神の愛だと書きましたが、その愛はイエスの言葉を信じ、心に留めることによって初めて賜る愛です。
なぜならば、キリストの福音を受けれた者に神の霊、聖霊が住まわれて、その様な愛をもたらせるからです。
これは賜物であり神の約束です。
もちろん、この世にはイエス・キリストのことを知らなくても、神を意識しているか否かは別にしてアガペーの愛を実践している方がおられると思います。
その様な方は、どのような宗教を信じていようが、当然神のみ心に沿って生きている方ですから、神のみ前に出た時は祝福されるでしょう。
使徒パウロは、その神の霊、聖霊によるアガペーの愛の永遠性を賛美しています。
第一コリント13章で、嫉妬など人の本性的な弱点を駆逐するアガペーの愛の働きを要約しています。そして、最後に愛の姿を歌い上げた言葉が、標題の言葉です。
標題の言葉の「すべて」と言うのは、全部とか全体という意味ではなく、関わる個々の相手とか状況について、いかなる相手をも、いかなる状況においても、包み、信じ、望み、担うという意味ではないかと言うことです。
相手の値打ちとか資格や立場がどのようなものであっても、つまり、敵であっても、また、状況が自分にとってどのように不利であっても、相手を包み込み、信じ、共に喜ぶ将来を望み、ただ苦難・苦悩を自分の側で担うのです。
そのような愛は、人間は本来自己中心的な存在ですから、人間から出るものではなく、神の霊だけが可能にする愛です。
隣人愛と自己愛の矛盾で苦悩する人間世界で、アガペーの愛は、その人たちを包も込み癒すのです。
不条理がまかり通るこの世界で、ささやかだけれども消えることなく輝き続けるのです。
その愛が輝き続ける限り、人類に希望があると思います。
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