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2017年5月 3日 (水)

神は避けどころ

詩編 46編2節

●2節.神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。

この聖句もクリスチャンの間では有名な個所です。歴代のクリスチャンは、この聖句を読み、キリストの福音のために歩む苦難の人生の中で、どれほど励まされたことでしょう。

旧約聖書の詩篇は、イスラエルの厳しい苦難の歴史の中から生み出された命の叫びです。いや、呻きです。

古代のイスラエルは弱小国家でありましたから、都市の回りに城壁をめぐらし、砦を構築し自分たちの住まいを守りました。弱小国家のイスラエルは幾度も周囲の大国に侵略され、苦しみを味わいました。

そのような状況から、この詩篇の言葉のように、ひたすら自分たちの神だけを「わたしたちの避けどころ、わたしたちの砦」として、「苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる」と信じ抜く民となったのでしょう。

それでは、神はイスラエルの民のこの必死の願いを聞いて下さったのでしょうか。

イスラエルの歴史は苦難の歴史です。

紀元前587年に国家は滅亡し、民はバビロニアに捕囚、紀元70年のユダヤ戦争でエルサレムは崩壊し、民は離散、最近では、ナチのホロコーストです。

それでも「苦難のとき、神は必ずそこにいまして助けてくださる」と言えるのでしょうか。

このような考え方があります。

「苦難のとき、神は必ずそこにいまして助けてくださる」というのは、なにも捕囚とか滅亡とか虐殺の目にあいそこから救出されたかどうかではなく、その苦難の真っただ中にいる者が神の言葉を聞き、その神の言葉に力を得て耐えることができたと言う事実に意味があるのではないかということです。

つまり、神は力を持つ強い者たちの中ではなく、苦しめられて、神に委ねるしか救われるすべがない者たちの祈りの中におられるのではないでしょうか。

コリント信徒への手紙第二1章4節に「神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。」とある通りです。

キリストは、わたしたちが苦難に遭遇するとき、その苦難の中にこそおられ働かれているのです。

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