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2017年5月 3日 (水)

主と同じ姿に造りかえられ

コリントの信徒への手紙II 3章18節

●18節.わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。

ここはキリストを受け入れた者の救いの姿、変容を語っているのでしょう。パウロの言葉です。

救いとは、キリストを信じる者が、「栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていき」と言うことでしょう。

救いと言っても無罪と認定されるだけではなく、罪にまみれたわたしたちが神と共に生きることができるように、神の御霊,聖霊の働きにより、キリストに似た者に造り変えられる必要があるのです。

キリスト者は、イエスの言葉を受け入れたときからその変容が始まるということでしょう。

キリスト者は、イエスが死から復活されたように、イエスに合わせられて死に復活する希望に生きるのですが、それは、「栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられて いく」変容の過程であるということでしょう。

その人生は、「顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、」の人生だと言うことでしょう。

「顔の覆いを除かれて、」の顔の覆いとは、ユダヤ教徒はモーセ律法を誤って解釈していることを、「顔の覆い」と表現し、それが邪魔になり神の御霊、聖霊の働きによる変容にあずかることができなかったが、キリストを信じることによってそれがより除かれてということでしょう。

すなわち、キリストを信じる者は、その障害となっているモーセ律法が、顔から取り除かれて新しいイエスの律法の中を聖霊に導かれて栄光から栄光へと歩むことになるということでしょう。

このようにキリスト者の共同体(教団とか教会、あるいは集会)は日々変容している、それも、前進していると思うのです。

その歩みは遅々たるものですが必ずや完成するのです。

人間を救うはずの宗教が殺し合いの口実になっている現実をみれば、その様なことがとても信じられないのですが、やがて、ユダヤ教徒、イスラム教徒、仏教徒なども御霊による変容が実現し、自我が砕かれて、御霊に導かれてイエスが説かれた敵を愛する愛に生きるならば、主と共に生きるための人間性の変容は可能かと思うのです。

つまり、あらゆる宗教の信徒もキリスト教という宗教に回心するのではなく、キリストの教えである福音、つまり、真理を受け入れるようになるのではということです。

宗教は人間がこの世で必要により造ったもので相対的なものですが、キリストの福音は、絶対的で真理ですから、すべてを凌駕するのです。

そうなって初めて、 宗教が「文明の衝突」を克服する力となるのでしょう。

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