わたしのもとに来なさい
マタイの福音書11章28節
●28節.疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
●29節.わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。
「学びなさい。」というのは、倣いなさいということでしょう。
イエスは神の子として、祈りの根源である神の言葉の体現者です。
イエスは29節で、「わたしに学びなさい。」(倣いなさい)と言って、そうすれば「安らぎが得られる」と約束されています。
イエスが呼びかける相手は「疲れた者、重荷を負う者」です。
イエスがここで呼びかけておられる民は、イスラエルの民の中でも神の律法を守りたくても守れない人々です。
その人たちは、モーセ五書の律法が、律法と同等とされる祭儀規定や生活規定が為政者により細かく設けられて加わり複雑化したので、毎日を生きていくのに精いっぱいで、とても守れない人々です。
その様な民はユダヤ人社会においては、律法を守らないことによって差別や偏見の対象となりますので、それが重荷となっていたと思います。
そのような「背負いきれない重荷」(マタイの福音書23章4節)を負わされて、疲れ果て苦悩している民に、イエスはわたしのもとに来て、わたしに倣いなさい言われる。
そうすれば、父なる神の無条件の恩恵により、あなたの軛は軽くなり安らぎを得られると言っておられます。
このことを現代のわたしたちに置き換えると、わたしたちはイスラエルの民のように律法の重荷の下にはいませんが、親子のこと、仕事のこと、病のこと、そのほか人生のあらゆる重荷、利害に翻弄される複雑な人間関係、自己との戦い、死の不安などに疲れ果て、魂が心の奥底で呻いていることには変わりはありません。
その様なわたしたちに、復活者したイエスが、代弁者である聖霊によって同じ言葉を呼びかけておられるのでしょう。
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