苦難をも誇りとします
ローマの信徒への手紙5章3から5節
●3節.そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、
●4節.忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。
●5節.希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。
4節は、人間は苦難によって忍耐が鍛えられれば、練達を生み、その練達は希望を生むということでしょう。
そして、そこには神の愛が、聖霊が働かれていると書かれています。
この聖句を読むと、希望(来世への希望のこと)を持つためには、なんと苦しい人生を歩まなければならないのでしょう。
でも神は愛の神ですから、聖書には、わたしたちに耐えられないような苦難は与えられないと書いてあります。
鉄はハンマーで打たれることによって鍛えられ、人間は苦難に遭うことにより鍛えられて、形を整えます。
でも、人間にしても鉄にしても鍛えられている方が限界を超えると壊れてしまいます。
人生の苦難は、それが人間の力によって耐えられる程度のものであれば、わたしたちはその苦難を糧にして強い意志とか性格を持てるようになるのですが、苦難がある限界を超えて大きくなると、ひがみや憎悪などを引き起こして心を歪め、性格を破綻させ、絶望とか自暴自棄にその人を陥らせます。希望をもつどころの話ではありません。
キリストにある者は、苦難にあっても神の愛の働きとしての聖霊によって支えられて、4節のようなことを体験し、その生まれた希望は神の真実な愛のゆえに失望に終わることがないのです。
神が愛であると言うことは、約2000年前に神は離反してるわたしたちに御子キリストを送られ、キリストがわたしたちの罪の贖いのために死なれたことで、神は世界に、時代を超えてその愛を示されましたが、聖霊降臨以降、御子キリストを信じる者に聖霊を与えることで、わたしたちを守り導き希望に至らせてくださるのです。
十字架は神の愛の表れであり、聖霊体験は神の愛の体験であり、新しいいのちの創造の始まりと言えます。
そのことを伝えるのが福音であり、福音が神の愛の啓示であり体験であることによって、人生に勝利をもたらす力となるのだと思います。
キリスト教は神の愛を体験する人生そのものだと思うのです。
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