愛はすべてを
コリントの信徒への手紙Ⅰ 13章7節
●7節.愛はすべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
親が子を殺し、子が親を殺す。親が幼児を虐待する。
親子の愛は人間がもつ最も自然な情愛でしょう。その情愛が現在の日本では崩壊しています。親子の情愛の崩壊は、人間性の崩壊です。それは、親がわが子を愛するのは当たり前だと思っていましたが、当たり前ではなくなったということでしょう。
獣でも、親は子を愛し育てます。獣でもできることが、なぜ、人間に出来ないのでしょうか。神様は、親が子を愛するのは当然のこととして人間を創造されたはずです。
このような人間性の崩壊はどのようにして生まれたのでしょうか。社会制度でしょうか、教育でしょうか。何が理由であるにしろ根深い問題があると思います。
なにしろ、社会制度とか教育方針を改革しても一朝一夕にはいかないと思うからです。
ただわたしが思うに、根本には、原罪があると思うのです。
人間が神から離反して、創造主の意志を無視して生きているという事態に問題があると思うのです。
神から離反している人間には、神の御霊は宿っていません。そのような状態は創造の御計画に反します。神と共に生きるように変えていく必要があると思うのです。
やはり、真の神をわたしたちは知る必要があるのではないでしょうか。
キリストの愛は、悪魔に唆されて、神に背いて生きるわたしたちを愛し、わたしたちを無条件に受け入れ、本来の姿である御霊と共に生きることができるようにするために御子キリストの命を献げてくださった愛です。
これが自己犠牲の愛の原点です。
わたしたちは、このような神の愛を知ることによって、人間として生きることの本当の喜びを体験することができると思うのです。
表題の聖句は、その愛の姿を語っていると思います。
「すべて」という言葉が四度使われていますが、これは、すべての人と言う意味ではなく、いかなる相手、いかなる状況においてもという意味だと言うことです。
キリスト教は、その歴史から戦争を容認していると誤解されている方が多いように思いますが、決してそのようなことはありません。
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