わたしはあなたたちを造った
イザヤ書 46章3~4節
●3節.わたしに聞け、ヤコブの家よ/イスラエルの家の残りの者よ、共に。あなたたちは生まれた時から負われ/胎を出た時から担われてきた。
●4節.同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで/白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。
イスラエルがバビロン捕囚と言う苦難の時に神が預言者によってイスラエルに語られた言葉です。
イスラエルは捕囚の地で四面楚歌、土地を奪われて、国民は離散して、国家もなくなり、居場所のない孤児の悲哀を味わっているときです。
その様な時に、最後の砦である自分たちの神からも見捨てられたのではないかという、信仰の挫折も伴い、落胆のどん底にあるときです。
あなたは国民の離散、国家の消滅という不幸を嘆いている。しかし、「あなたたちは生まれた時から負われ/胎を出た時から担われてきた。・・わたしはあなたたちの老いる日まで/白髪になるまで、背負って行こう」と預言者を通してイスラエルに神は語られたのです。
そして「わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。」と言われるのです。
この聖句で思うことは、「造った・・救い出す」ですから、神は、わたしたちを創造したという理由だけで、なんの条件もつけないで「担い、背負い、救い出す。」と言われているのです。
創造者としての責任を感じておられるのでしょう。造ったからには、最後まで面倒を見るということでしょう。
ですから、この神のイスラエルに対する言葉は、わたしたちイスラエル以外の諸国民すべてに対する言葉でもあると思うのです。
その証が、イエスの十字架の出来事なのです。十字架による贖いの御業は、すべての民族に対するものです。
この恩恵の事実が神と人の関係の唯一の土台なのだと思います。
わたしたちは、自分の存在の源である方が、自分を無条件で受け入れてくださっているという事実に目覚め、その事実だけを拠り所として生きることを求められていると思うのです。
わたしたちはアダム以降本性的に無意識に神に敵対する者として生きています。
しかし、神はただ自分が造ったがゆえに反逆するわたしたちを無条件に受け入れてくださっている。神は御子キリ ストの十字架の贖いのみ業でそのことを証されました。
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