福音は..神の力
ローマの信徒への手紙1章16節
●16節.福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。
「福音」とは良き訪れといいますが、具体的には、福音とはイエス・キリストの出来事を伝える言葉です。
イエス・キリストにおいて神が成し遂げてくださった救いの働きを、人びとに告げ知らせる言葉、救いの言葉だから良き訪れの言葉ということでしょう。
その言葉は、イエス・キリストの誕生から始まり、その方の十字架の死と復活に至る物語です。
それは、福音書の形で語られていると思うのですが、使徒パウロは福音を「キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。」(コリント信徒への手紙第一第15章3節から5節)というように、キリストの十字架死と復活の出来事、その意義を語る短い言葉で言い表しています。
福音は言葉であり力です。人間は言葉で時代を超えて意志を伝え、人間関係を作り、人を動かし、社会を形成し、歴史を作っています。
この様なことができるのは人間だけです。人間を人間ならしめるものは言葉だと思います。
言葉にはそれを発する人の思いが込められています。わたしたちが何か考え事をする場合も言葉に置き換えて考えています。
だから、人がどのような言葉を内に抱いて生きるかによって、その人の人間としての中身が決まるのではないでしょうか。
言葉には発する人の思いが込められていますから、その人を変える力があるのです。それが神の言葉であれば、なおさらです。
イエスの言葉、福音に力があるのは、イエス自体が神の言葉だからです。
昨今むなしい言葉が氾濫しているのは事実ですが、本来言葉は決して空しいものではないと思うのです。
人間を形成するのに教育が重要視されますが、それは言葉がその人を決め、その言葉が他者にも大きな影響を及ぼすからだと言えます。
福音の言葉は「・・福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。」ローマの信徒への手紙1章16節)と使徒パウロは言っています。
言葉は神の力です。そう。福音は神の思いがこもった神の言葉なのです。人間の言葉の力とは次元が違います。「それは人間にできることではないが、神は何でもできる」(マタイの福音書19章20節)のです。
神の言葉は、神が遣わされた人によって世に与えられた神からの言葉です。
それは、それを聞いて、その言葉を自分の内に抱き留めて生きる人間(信仰者)を、造りかえ、変容させ、新しい命に生きるようにする力といえます。
それはまさしく神の御霊、聖霊の働きといえます。
そして、その神の言葉は、「ユダヤ人をはじめギリシア人にも、すべて信じる者に」ですから、その言葉を与えられたユダヤ教徒だけでなく、すべての人間を本来の神の子の姿に変容させる力として、それを受ける者が誰であっても関係なく働くということでしょう。
もちろん、イエスの言葉の力の及ぶ範囲は、所属する宗教とか文明とか国家とかとは無関係で、無条件です。
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