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2017年3月 2日 (木)

永遠の命を受け継ぐ

マルコの福音書10章17節

●17節.イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」

死は、細胞死を意味し、「生命現象の一部である」と言われています。

生命現象ですから、死は生きていることの一現象としてプログラムされているということです。

そして、死を定義すれば、死はこの細胞がすべて死んだときと言えます。

わたしたちは受精の瞬間からすべての細胞が死に、すなわち、この肉体の滅びに向かって歩み始めることになります。そして、それがプログラムされているのです。

プログラムされているのですから、肉体の滅びとしての死の時は決まっているということです。

ですから、わたしたち人間は、そのプログラムされた細胞死、すなわち、生命現象を生きるのですが、それはとりもなおさず、自己が細胞死によってやがて消滅するという現実を意識して、不安の中を生きることになります。

ここでイエスに質問している人は、プログラムされた細胞死とは別に、わたしたちが永遠のいのちを持っていることを前提に質問しています。

その永遠に生きるいのちを受け継ぐのは、つまり、天の国に行くにはどうすればよいのかとイエスに尋ねているのです。

それは、人間は細胞の死と言う生命現象と共に生きながら、その一部である細胞死を否定する別種のいのち、つまり、霊的な命、永遠の命を生きることができる存在でもあるということでしょう。

わたしたちは、そういう生と死の矛盾という不安の中を生きているならば、もし、永遠の命とか天国というものがあるならば、永遠の命を受け継ぐ、つまり、天の国に行くにはどうすればよいのでしょうかと求めざるを得なくなるのは当たり前です。

イエスの言葉、福音はこの人間の問いに対する創造者なる神からの回答と言うことになります。

神はイエスを死者の中から復活させて、肉体の死を克服して永遠に生きる命があることを人類社会に示されました。

具体的には、復活によって神の子とされたイエスを信じて、このキリストに合わせられる者に死を克服する命、すなわち、終わりの日に復活させ、天国に導く永遠の命を、キリストの福音を信じ心に留めて生きる者に、この地上に生きているときから聖霊によって与えると約束されたのです。

なお、いのちについて詳しく調べてみると、いのちには、生命(ビオス)と人格的ないのち(プシュケー)と永遠のいのち(ゾーエー)があるのですね。

その三つのいのちを人間は本来持っているというのです。

生命(ビオス)とは、呼吸し、飲食し、運動し、子を産むなどして生きている命を指し、人格的ないのち (プシュケー)とは、思考し、愛憎し、芸術活動をして生きている命を指し、永遠のいのち(ゾーエー)とは、信仰と愛と希望に生きるいのち。信仰ですから、父なる神の子としての信頼に生きるいのちです。

そして愛とは、敵をも含む隣人への愛、最後の希望とは、死後の復活を確かな将来として待ち望むことを希望という姿でこの世を生きるいのちと言うことではないでしょうか。

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