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2017年3月 2日 (木)

死んでも生きる

ヨハネの福音書11章25節

●25節.イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。 

イエスは、「わたしを信じる者は、死んでも生きる」と言われたのです。

これはどういうことでしょうか。死んでも生きる、ですよ、すごい言葉です。

わたしたち人間は必ず100%死にます。そして、死は、死に逝く者には不安と恐れを、その人を愛する周囲の人には別れへの悲しみをもたらします。

死は、人間の力ではどうしょうもない、誰もが人生で一度きり体験する絶対的な出来事だからなおさらです。

しかし、このイエスの言葉は、その不安とか悲しみを希望に変える力を持つのです。

もし、本人とか周囲の人たちが、「死んでも生きる」ということを、すなわち、この身体は死んでいくが、その人自身は死ぬことなく生きているということを確信できるならば、本人の不安と周囲の人の悲しみは、希望に変わることでしょう。

世間では、人が死ぬとあの世で会おう、あの世で待っていてくれとか言って別れを惜しみますが、その言葉には何の根拠もありません。

でも、2000年前にイスラエルの地で、イエスというユダヤ人の一人の男が、自身が死んで復活することによりそれが事実であることを証明したのです。

人類の歴史において、死んでこの世に帰ってきたのはイエスだけなのです。

クリスチャンでない方々は、その様に言っていても信じるに値する根拠を持っていないから、現実に自己の死を、親族の死を前にすると、その内なる霊魂が不安におびえ、悲しみに打ちひしがれる事実をどうすることもできません。

慣れ親しんだこの世から一人で去っていくと思うとぞっとします。

このようなわたしたちの前にイエスは、「わたしを信じる者は、死んでも生きる」と宣言されたのです。

そう、現実に十字架の死から復活され、キリスト(救い主)とされたイエスが、そのように宣言されたのです。

地上の人間の誰が、このような宣言をすることができるでしょうか。

それができるのは、「わたしが復活であり、いのちである」と宣言できる方、すなわち復活者イエスだけです。

新興宗教の教祖は、いろいろ教えを述べ、人の運勢を占うとか、予言とか病の癒しなどを売り物(事実かどうかは知りませんが)にしている方がおられますが、自分自身が死んであの世に行き再び帰ってこられた方はおられません。

それでは、この「死んでも生きる」と言う言葉をもう少し詳しく書きますと、「この生まれながらのわたしは死んでも、キリストにあって新しく生まれたわたしは、死ぬことなく生き続ける。」と言うことでしょう。

そんなバカなことがあってたまるかと言われる方もおられますが、そのことを命がけで信じた多くの人びとがおられるのを知ると無関心ではおれないと思います。

世界人口の三分の一を占めるクリスチャンは、そのことを信じているのですが、そのことを無視できるでしょうか。

そのことが確かだと言うことは、イエスの言葉を信じると聖霊の賜物を戴けるので、その聖霊と共に人生を歩みなさい、そうすると分かると聖書は言っています。

それは使徒パウロが言っている信仰(神への信頼)と愛(隣人への愛)と希望(来世への希望)によって生きる人生の現実の中で得られる確かさだと言っているのだと思います。

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