収穫の時が来た
マルコの福音書 4章28~29節
●28節。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。
●29節.実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」
イエスはここでも種の成長を用いて神の国とはこういうところだと語られています。
この聖句は、マルコの福音書の4章26節以降の副題「成長する種」のたとえのところにあります。
イエスは「神の国は次のようなものである」と前置きし、「人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、 種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない」と語り、その後に標題に掲げた言葉が続きます。
簡単に言うと、イエスは、神の国、神の支配とは種を蒔いた土から芽が出て成長して木になり実ができる。人間にはどうしてそのようになるのか分からない。神が支配される場はそういうところだと言っておられるのです。
人間は水をやり世話をするが成長させるのは神の働きと言うことですね。
最初は小さなものでも成長して大きくなるのが、神の国の摂理なのです。
つまり、神の国は、いや、神と言う存在は、じっと高いところに鎮座しておられるのではなく、動的でいつも働いておられる(命を生みだし、支えて、成長させる)方なのです。
「成長」というのがポイントですね。
種から「まず茎、次ぎに穂、そしてその穂に豊かに実ができる」ように、地はおのずから実を結ばせます。
どうしてそうなるのか人には理解できなくても、大地の生命力が実を結ばせ、収穫の時を来たらせるのです。
イエスはこのたとえで、ご自身の中にすでに聖霊によって到来している終わりの日の恩恵の支配(それが「神の支配」)を示しておられるのでしょう。
それは今はからし種のように小さいが、やがて空の鳥が巣を作るほどの大きさになるというのです。
言い換えると、今イエスはこの地上に来られて福音を述べられています。
イエスが体験しておられる聖霊と同じ聖霊がイエスの言葉を信じる者と共にあってこの終わりの日を働いておられます。
このイエスの言葉を信じる共同体は、今は生まれたばかりで種のように小さいが、あるいは、神の国を伝える福音は、人びとの人間性の中に隠されているが、それは神の霊、聖霊の力によって成長し、大きく枝を張り、必ず実を結びます。
もちろん、新しい人間の創造という形で明らかになってきます。
それが神の国の摂理であり、わたしたちの希望でもあるということでしょう。
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