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2017年3月 2日 (木)

敵を愛し・・祈りなさい

マタイ福音書 5章44節

●44節.しかし、わたしは言う。敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。

イエスは、「敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」と言われました。

そうであれば、アメリカでの同時多発テロ事件とかエジプトの内乱の原因と思われるイスラム教と民主化(世俗化)勢力との対立など世界中で起こっているテロあるいは戦争は宗教に絡む対立がほとんどだと思うのですが、これらをどのように考えれば良いのでしょうか。

いやいや、テロ事件もそうですが、国家と宗教(とくにキリスト教においては教会)が一体となった国は昔も今も戦争を繰り返しています。

まず問題になるのが、宗教原理主義です。イスラム原理主義の過激派もさることながら、アメリカの武力行使の背後にもキリスト教原理主義の勢力があると聞きます。

いったい原理主義とは何でしょうか。

宗教における原理主義について調べてみると、理念的な原理や原則を重視し、典型的には近代的な世俗主義を邪教とみなすような信念や傾向のことを言うと書いてありました。

宗教の教えを、忠実に守る、一切の妥協を斥け、厳格で徹底的であろうとする態度と言うことでしょうか。

エジプトにおける内乱も前大統領がイスラム教の教えをイスラム教徒以外の民主化を求める民衆に押しつけようとするところから起こったのではないでしょうか。

言えることは、その宗教自体がカルトのようなものでないかぎり、原理主義そのものは悪いものでも非難すべきものではないと言うことです。

それでは宗教原理主義のどこが悪いのかと考えますと、教え自体は悪くないのですから、その教えに忠実に生きようとする際、その生き方をよく思わない、利害が対立する勢力が存在するときに問題が起こると言うことでしょう。

しかし、その時代、その国、その人の文化的背景がそれぞれ違いますから、時代が変われば、立場が変われば宗教的な教えを厳格に当てはめるのではなく、その原理原則を守ったうえで、その時代、その国、その人の文化的背景にふさわしいように応用するというものが必要なのは当たり前だと思うのです。

そのときに、聖句にあるように「敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」というイエスの言葉に忠実であればなんら問題はないのです。

力で持って対抗し、教えられた宗教原理をその宗教の信者以外の人にも強引に押し付けようとするところに問題が起こるのです。

表題のイエスの言葉は、迫害する者、自分の信仰を力ずくで 抹殺しようとする者、そのような敵に対して力をもって反撃するのではなく復讐するのでなく、迫害する者の救いを祈るという、正反対の道を求めているのです。

明らかにイエスは、力ずくの原理主義に反対されています。

もし、今でもキリスト者に原理主義があるとすれば、それは自分の教義を力ずくで他者に押しつけることではなく、イエスの弟子として、イエスのこの言葉に徹底的に従うこと、たとえそのために自分が殺されることがあっても従うという生き方をすべきなのでしょう。

この2000年、キリストを信じて殉教した数多くの人々は、イエスの敵を愛しなさいという教えを、命を持って守り通した人々と言えます。

なお、国家と宗教(キリスト教においては教会)が一体となった神権政治は、ローマ帝国の時代から現在に至るまで戦争を繰り返しています。

その反省から、政教分離が問われているのですが、なかなかうまく機能していない国家もあるようです。

世界を見渡すと、イスラム教世界に神権国家が多いようですね。

宗教(キリスト教においては教会)が国家権力と結びつくとロクなことはありません。

宗教という制度はあくまでも人間が必要により生み出したものです。

イエスはこの世の真理を告知されているだけです。

その教えが書かれた聖書を聖典とするのがキリスト教だということです。

真理は一つですが、聖典である聖書は、活字になった言葉で、各国語に翻訳されていますから、読む者にあって様々に解釈されますが、イエスの告知された真理に沿って解釈すべきだと思います。

その解釈を導かれるのが、聖霊だということでしょう。

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