わたしは既に世に勝っている
ヨハネの福音書16章33節
●33節.あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。
70年近く生きてきましたが、振り返りますと本当にいろいろなことがありました。
もう駄目だと思われることもありましたが、不思議に救われてきました。
ただ、その時その時を投げやりにならずに生きてきただけなのですが、今から振り返ると、やはり神様の助けがあったと思うのです。
必要な時には、自分の将来の計画をも色々と立ててみましたが、何一つ満足できるほど成就したことはありません。
でも、後悔はしていません。なぜならば、自分が立てた計画が成就していたならば幸せになっていたかどうかは分からないからです。
今から思うと、今あるようになるべきしてなったとしか思えません。
今は、もう一度人生を一から始めることになっても、また、同じような生き方をするのだろうと思っています。
つまり、わたしは何度人生を繰り返しても、同じような人生を歩むことになるということです。言い換えれば、わたしは自由意志で自分の人生を生きているようであって、所詮神様の御手の内でもがいているにすぎないのです。
結果として、神様のご計画から外れた人生を歩むことなどできないということです。
わたしらしい人生を神様の助けを借りて歩んできたと言うことです。
人生何事も、自分の希望通りになるわけではなく、むしろ、そうならないのが普通だと思います。
そうであるからと言って、何もせずに、希望も計画も持たずに努力もしないで人生を送るのがよいかと言えば、これまた違うように思うのです。
神様は決してその様な人生を望んではおられないと思うのです。
一度きりで片道切符の人生ならば、困難に出会っときに、安易な道に逃げ込んだり退却したりするのもよいが、勇気を出して困難に挑戦し障害を突破しようとするほうがずっと得ることが多いと思うのです。
しかし、どのような生き方をしても、人生の曲がり角でのその人の選択と言いますか、行動によって人生は大きく変わるのも事実です。
何もしないと決めても行動せざるを得ない場合もあります。
しかし、人間なんて弱い動物ですから、人生に行き詰ったときに、挫折した時に、励まされて立ち直ることもありますが、そうでない場合あります。
困難があまりにも大きく、挫折があまりにも度重なると、立ち向かう気力も尽き果てて、心は回復する力を失い絶望の淵に沈みます。
人の心はそれほど強靭ではありません。
そのような時、わたしたちには傷んだ心を癒し、勇気づける何かが必要になると思うのです。
創造者を信じる者、キリストを信じる者は自分の心の弱さを知っています。
創造者を愛し、自分を委ねる勇気を持っています。困った時の神頼みもよいと思うのです。
もちろん、その神は存在論を持った真に生ける神でなくてはなりません。
それでないと、単なる気休めの神頼みになってしまいます。
己の行く先を創造主に委ねてしまえば、後はケセラセラ、なんとかなるさ、という気分になれます。
本当ですよ。そうすると自然と元気が出てくるものです。
これを開き直ると言うのであれば、人生開き直ることも必要だと思います。
そうすれば、望んでいた通りにならなくても、心は不思議に平安です。
それで充分です。わたしたちが何をやっても、どのような人生を送っても、何事も、わたしたちのために益にして下さる神様が共におられるのですからね。
わたしたちが倒れ伏して立ち上がれないのは、病気や失敗など人生の困難が大きいからではなく、意識しているかどうかにかかわらず、その人の魂が世のしがらみに押さえつけられて、生きようとする勇気を持てなくなっているからではないかと書かれた本がありました。
この世のしがらみは、悪魔が利用するのに最適です。しがらみは、わたしたちの人生に絶対的に大きな影響を及ぼします。
そのような人々にイエスは、「父はあなたを無条件で受け入れてくださっている。何も心配することはない。さあ、立ち上がって父のもとに帰りなさい。父と共に生きなさい」と手を差し伸べ声を掛けられます。
信仰者にとって、無条件で受け入れてくださっているという父の恩恵が、勇気の源泉だと思うのです。
人間的な状況、人生での失敗や病気は相変わらず困難を極めていても、神を知ると、魂はその状況を突き抜けて、神に生きる喜びと力に満ちるのです。
本当の勇気とは、そのような困難な状況を突き破る魂の喜びと力だと思います。
世は本質的に神に敵対しています。
しかし、恐れることはない。わたしたちが信じるイエスは既に世に勝っていてわたしたちを導いて下さっている。
イエスもこの世では苦しみをお受けになりました。しかし、神に生きる喜びと力が、その苦しみを打ち破り勇気が与えることを身を持って実証されたのです。
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