見ないのに信じる人
ヨハネの福音書 20章29節
●29節.イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」
復活されたイエスが弟子たちに現れた時、トマスはその場に居合わせなかった。
それで他の弟子たちが「わたしたちは主を見た」と言った時、トマスは彼 らの証言を信じないで、「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をその脇腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」と言ったのですが、そのことを聞いたイエスがトマスに語った言葉がこの言葉です。
わたしたちは科学万能の時代に生きています。ですから、科学で実証できること以外は信じないように思い込まされています。
それは人間の五感によって確証されること以外は認めないということです。
しかし人間には科学で実証出来ないことでも信じる能力が備わっていると思うのです。
それが霊の働きです。聖書は、五感で確証できない霊の働きを信じることの方が、五感で確証できることよりも人間にとってより重要であると説いています。
復活されたイエスは、トマスに現われ、「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と言い、さらに見て信じたトマスに「見ないのに信じる人は幸いである」と言われました。
その後、復活されたイエスは天に昇られこの地上におられません。
したがって、その時までにこの地上でイエスが語られたこと、なされた奇跡やしるし、イエスの身に起こった出来事を証するのは、聖書に書かれた弟子たちの証言と、五感で確証できない聖霊の働きだけであります。
だからイエスは、今を生きるわたしたちに、「見ないのに信じる人は幸いである」と語りかけておられるようです。
神は聖書に書かれたこのキリスト復活の証言(福音)を信じる者を救おうとされているのです。
このイエスの言葉、福音を信じる者は約束の聖霊を受けて、自分の内に復活された霊キリストとの出会いを証する。見ないで信じる者は、聖霊を賜ることによって、自分の内に復活者されたキリストを霊において見るのです。
イエスの言葉を信じる者の中に、「世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る」と言われているとおりのことが実現するのです。
わたしは祈ります。わたしの信仰を増し加えてください。わたしを見ないで信じる者にしてください。
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