エクレシアと制度的共同体
一般に教会とは、キリストの民の共同体で、規則をもち、信条と教義を掲げ、洗礼や聖餐の儀礼を行い、聖職者の組織をもつ制度と定義したいと思います。
そして、そこで信じ表現されている宗教が「キリスト教」ということでしょう。
エクレシアとは、その中での御霊による交わりの集会(キリストを信じる人々の集まり)を指すのだと思います。
パウロがよく使う「キリストにあって」とはそのことを指しているのでしょう。
したがって、制度的教会はエクレシアの容れものであって、エクレシアそのものではないと思います。
神の御霊に満たされたエクレシアは、キリストの充満体ですが、制度的教会は必要により歴史の流れの中で生まれた、制約された相対的な制度だと言えます。
キリストの充満体である(御霊に満たされた)エクレシアは絶対ですが、制度的教会は絶対ではなく相対です。
制度的教会は必要により生まれたものですから、成長しながら変遷し、キリストの再臨までの一時的、相対的なものです。
したがって、制度的教会を絶対化して、その制度(教義や祭儀)に従うことを 強要し、従わない者を排除・迫害するならば、その「教会」はエクレシアの敵対者になってしまします。
ですから、現在の制度的教会の礼拝への出欠席とか教会員の出入りが自由なのはそういう意味であると思うのです。
キリストの集会に集うのは、規約とか戒律で強制的に集わされるのではなく、あくまで御霊に導かれて集うのだと思うのです。
中世ヨーロッパにおけるキリスト教会の歴史は、悲惨な歴史です。
それは制度的教会を絶対化し、絶対化された制度的教会が時の国家権力と一体化したので、そこから生まれた対立抗争が原因で、血塗られた歴史になったのだと思います。
したがって、中世ヨーロッパにおけるキリスト教の悲惨な歴史は人間の作った制度から生まれたのであって、神の御心ではないと思います。
そういう意味で、パウロの手紙で「教会」と訳されているのは、キリストの充満体としてのエクレシアを指すとわたしは理解しています。
よって、わたしは新共同訳聖書でパウロの手紙などで教会と訳されているところを、(制度的教会と間違いますので)キリストの民の集会とか共同体と表現しました。
事実、新約聖書の福音書とか手紙類が書かれた1世紀頃までは現在のような制度的教会は存在しません。制度的教会が成立するのは紀元300年以上後のことです。
紀元70年のユダヤ戦争でエルサレムが崩壊するまでのキリストの民はユダヤ教の一派のような存在で、「イエス派」とか「この道」などと呼ばれていたそうです。
紀元70年以降にエルサレムの崩壊と同時にユダヤ教の崩壊が進み、律法遵守に厳格なフワリサイ派が勢力を伸ばしユダヤ教会堂から追放されたので、そのためにユダヤ教から完全に独立する事になったのだと思うのです。
それにキリスト教という宗教が生まれたのは制度的教会からと書きましたが、ヨハネの福音書14章6節のイエスの言葉「イエスは言われた。
「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」」、とあるように、イエスそのものが真理で命です。イエスの言葉と行いが神を顕わしているのです。
イエスは真理をこの世に告知し、神のご計画である人類救済のご計画を実現するためにこの世に来られたのです。
イエスは決してキリスト教という宗教の教祖となるためにこの地上に来られたのではないと思うのです。
イエス・キリストの福音の告知は、宗教という人間の作った制度になじむものではなく、イエス・キリストは神の体現者ですから天地万物の真理です。少なくとも、聖書を素直に読んでいる限りその様に解釈、理解するしかないと思うのです。
したがって、キリストの民の集会で、キリストの御霊を体現するエクレシア(共同体とか集会)が初期教会の呼び方として最もふさわしいと思うのです。
キリストが語りかけておられるのは、けっして一つの教会を指すのではなく、教団、教派の垣根を越えて、世界中のキリストの民全体であり信徒一人ひとりだと思うのです。
キリストの民はどの教団、教派、教会に所属していようが、信仰は一つで、心も一つです。
もちろん、世界中のキリストの民が一堂に会し、礼拝するなどは現実的ではないので、一つの教会の属し、また集会に属し交わりを保つことは絶対に必要だと思います。
そういう意味で、制度的教会は歴史の中で必要によって生まれ、絶対的なものではなく相対的なものだと書いたのです。
わたしは以上のように理解しています。違った意見の方もおられるかもしれませんが、その場合はご容赦ください。
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