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2014年10月 1日 (水)

死後の世界

詩編73編25節 

●25節.地上であなたを愛していなければ/天で誰がわたしを助けてくれようか。

キリスト教会においては、キリストを信じるだけで救われると教えていますが、この聖句を読めばどうやらその様でもなさそうです。

さて、死後の世界があるならば、死後の世界はどのような世界でしょうか。

これは人類の永遠の疑問ではないでしょうか。古今の宗教はすべて死後の世界があることは述べていますが、どのようなところかは実に様々で、結局は確かなことは何も分からないといえるでしょう。

死後の世界を垣間見た霊感豊かな人もおられますが、言っておられることが同じようでありますが、どうも違うところも多いようです。

死後の世界を否定し、人は死ねばいなくなるだけだと考える人も多くおられると思いますが、そのことに確かな根拠を示された方はおられるのでしょうか。

このようにいろいろ見方が分かれるのは、ひとえに死後の世界のことはその人個人の信仰の問題で、客観的にその存在を立証できないからとは言えないでしょうか。

ただはっきりと言えることは、人間はその全歴史を通して、死後の世界の存在を信じていない人よりも信じている、あるいは信じていた人の方がはるかに多いということです。

それでは、聖書はこの問題についてどのように答えているのでしょうか。

死後の問題については、聖書はまず死者は復活すると言っています。

聖書が告知するのは、人間を、いや万物を創造した神は、約2000年前にイエスという男を死人の中から復活させて、終わりの日に成し遂げると約束されていた人間救済の御業を開始されたということです。
イエスの復活はその証だと言っています。

そして、イエスが天に昇ったあと代わりに聖霊を送るから、その聖霊を迎えることができれば信じることができると言っておられます。

神は、このイエスをキリストと信じて彼に従う者は、イエスが復活されたように死後死者の中から復活させると約束されました。

それは、イエスの言葉を信じる者の希望となっています。

イエスの言葉を信じて生きる者には、キリストと共にこの世を生きているという現実を体験し、その同じキリストが、死後の世界でもわれわれの主であると信じて希望を持って生きています。

このことを聖書は次のように表現しています。

「主は、わたしたちのために死なれましたが、それは、わたしたち が、目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです」(テサロニケの信徒への手紙第一5章10節)です。

この「目覚めている」とは地上に生きていることで、「眠っている」とは死後の世界にいることだと思います。

先の聖句ですが、地上の人生で共に生きてくださるキリストを体験し、言葉だけではなく具体的に愛し仕える事実がなければ、イエスの言葉を真実と確信することができないのならば、死後の世界に関する約束はすべて言葉だけのものになり、確かな根拠は何もなくなるであろう。

言い換えると、わたしたちはこの地上の人生でキリストを知った分だけ、つまり愛した分だけ来世での約束の確かさを得ることになるのではないだろうか。

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