心を確かにして
詩編57編8節
●8節.わたしは心を確かにします。神よ、わたしは心を確かにして/あなたに賛美の歌をうたいます。
心を確かにしますと言うことですから、心が不安定というか、迷っているから確かにするということですね。
心が迷っているから神を見上げて賛美するのですね。
人生には様々な問題が起こります。問題が重なるとわたしたちはどのように解決すればよいのか迷ってしまいます。
迷うのは、それが未来のことゆえ予測困難なことであるからか、あるいは、あちらを立てればこちらが立たずで、二者択一を求められる場合でしょう。
このように先のことは、わたしたちの努力とか知恵ではどうしょうもない。
心が定まっていないと、わたしたちの思考はああでもないこうでもないと堂々巡りを繰り返します。
どちらを向いても出口がない、いわゆる「八方塞がり」の状況になることもあります。
前にも後ろにも横にも進めないのならば、藁にもすがる思いで神様に頼るか死ぬしかない。
そこで神様を知る者は神様にすがり助けを求めます。神様を知らなければ死を選ぶ人もいます。
この詩編の作者もおそらくそういう状況で、ひたすら神様を呼び求めて祈ったのでしょう。
もう、あれやこれやと迷うのではなく、心を定めてひたすら神様に祈ったのでしょう。
「心を確かにして」神に向かい、「わたしのために 何事も成し遂げてくださる神」(3節)に祈り、賛美するのです。
神様に祈ると言うのは、結果は予想できないし、どのように決着するかも分かりませんが、
どのような形で決着しても、結果は神様の御心として受け入れると心を定めて、一切を神様の手に委ねる姿勢です。
このような信頼の心を、神様は放置されることは決してないと信じます。
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