何が幸いか
詩篇16編2節と5節
●2節.主に申します。「あなたはわたしの主。あなたのほかにわたしの幸いはありません。」
●5節.主はわたしに与えられた分、わたしの杯。主はわたしの運命を支える方。
人生において何が幸いであるのかは、人によって答えはさまざまです。
それは人によって物の見方考え方が違うからだと言う方もおられますが、この世を歩む面から見ると、決して一概にそうとも言えないところがあります。
なぜなら、人によって人生の出発時点から持っているものが違うからです。
ある人は生まれながらに優れた才能を与えられ、ある人は財産家の両親のもとに生まれ、ある人は生まれ持った強固な意志の力と機会に恵まれ、また、ある人は美しい顔と体系の整った美しい体が与えられています。
そのようにその人の努力によらずして、人生の出発ですでに幸福が、いや、少なくともこの世の価値観から見て有利な人生を送れる条件を備えている方もおられるからです。
もちろん、それらの人生を歩むのに有利な条件を備えているとしても、決して幸福だとは思いませんが、備えていない人よりははるかに良いでしょう。
用い方によって幸せになれる機会が多くなると思うのです。
考え方の違いかも知れませんが、人生を歩むに有利になるものは何も自分には与えられていないと嘆く人たちも多くおられます。
それどころか、障害を持って生まれて、人生の最初から大きなハンデイを背負っている方もおられます。
そういう人を除けば、ものは考えようということもありますし、普通、生まれながらの才能や恵まれた環境など、人がうらやむような、世が与える幸福の素材をすべて備えている人は少なく、恵まれている面があるけれども、欠けている面もあるというのが殆どです。
キリストにある者は、その欠けていることを嘆かないのです。
それは、主キリストが共におられるからです。
キリストはわたしたちの罪のために十字架上に死に、復活して今も生きておられます。
イエスの言葉を信じる者に、聖霊として内住し、共に歩んでくださっています。
福音を受け入れた者は、今も生きておられる復活者したキリストに結ばれ、キリストに合わせられて 生きるようになります。
そのときに、詩編16編5節の「主はわたしの運命を支える方」といえるのでしょう。
聖霊はわたしたちに平安を与え、愛と復活の希望に生きる者として下さるのです。
だから詩編16編2節にあるように「あなたはわたしの主。あなたのほかにわたしの幸いはありません。」と言えるのでしょう。
この幸いは、キリストの言葉を信じるに者は誰でも与えられます。どのような状況にあろうが、どのような文化や宗教の中にある者にでも、無条件に与えられると思います。
民族や宗教の枠を超えた人類全体に無条件で与えられる恵みであり、創造主である神からわたしたち被造物に対する無償の贈り物ですからね。
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