求めなさい
ルカの福音書11章9節から10節
●9節.そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
●10節.だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。」
イエスのこの言葉は余りにも有名です。
求めれば与えられると言うことですから、求めなければ与えられないということになります。
求めるには当然努力することになる。努力もしないで欲しい欲しいと言っているだけで与えられるかは疑問に思う。
それに、イエスがいくら「すべて求める者は得るからである」と言っておられても、現実には求めても得られないことが余りにも多いので、戸惑ってしまいます。
しかし、イエスは「すべて求める者は与えられる」と言われた。イエスの言葉は絶対だ。現実を考えると驚くべき言葉です。
そこには、何の資格も、条件もない。誰でも求める者は得るということが自明の事実として語られています。
それでは、イエスは求めれば何を与えると言われたのだろうか。
ルカの福音書11章13節には、「このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。
まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」とあるので、 求めれば与えられるのは、神の御霊、聖霊のことになります。
父親が自分の子には資格も条件もつけずによいものを与えるように、神は父として求めてくる者に資格も条件もなく、最もよきもの、すなわち聖霊を与えてくださるということです。
それはまさしく神の子とするためです。
そうであれば、先に書いた疑問は解決します。聖霊をいただくのには、何の努力もいりません。ただイエスの福音を受け入れて、心の留めるだけでよいのですからね。
このように、神の子キリストが十字架ですべての人の罪を贖うために死なれた以上、もはや贖われるほうである人間には、恩恵にあずかるための資格や条件は求められないのです。
そこは「すべて求める者は求めれば与えられる」という神の恩恵の法則が支配する場です。
聖霊に与ることがなぜ良いことかといいますと、神の霊、聖霊は人間に神の子としての実質を与え、来るべき神の国での永遠に生きる新しい命と、新しい復活の体を保証するものだからといえます。
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