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2014年3月19日 (水)

新しく確かな霊を

詩編51編

●12節. 神よ、わたしの内に清い心を創造し/新しく確かな霊を授けてください。 

神を知るということは、同時に自分が神に背いていることを知ることになると思います。

キリスト信仰者は、自分の神への背きを深く自覚させられ、神の前に打ち砕かれ、その背きの罪が赦されることをまず祈らないではおられません。

そう、自分で祈ろうと思って祈るのではなく、祈らないではおられなくなるのです。

創造者の前では、人間はただひれ伏す以外にすべを持ちません。

これが、キリスト者の信仰の原点でしょう。

頭書の詩編51編12節は、神と出会いこのような深い罪の自覚の中から生まれたイスラエルの預言者の心からの叫びでしょう。

ここで叫んでいる預言者(信仰者)の自覚する罪は、宗教的なあるいは規範とか道徳的なものから来る罪、つまり、外から要求される規定に違反する行為の罪ではなく自分の内にある本性的な、自分の創造者である神の意志に反している、離反していると言う事実から来る根源的な罪であると言えます。

その罪のことを詩篇51編7節で、「わたしは咎のうちに産み落とされ/母がわたしを身ごもったときも/わたしは罪のうちにあったのです。」と表現しています。

人間はアダムが神から離反した時から、その罪は子孫代々引き継がれてきたのですね。

人間は本性として神に背くいてやまない存在として生まれついているという事実を、この預言者(信仰者)の魂は深く自覚しているのでしょう。

自分自身を形成する内なる心が造り変えられるためには、新しく確かな霊を授かる必要があることを知っているのでしょう。

その様な信仰に達すると、わたしを創造し、万物を創造された神が、自分の内に清い心と新しい霊を与えてくださることを切に祈り求めないではおれなくなるのでしょう。

パウロはキリストの福音を、罪の赦しだけではなく、聖霊による人間の変容が伴うと告知しました。

人間は本性的に生まれながら神に背く存在ですが、イエスの言葉を信じる者が恩恵によって賜る聖霊の働きにより、「わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。」(コリント信徒への手紙第二 3章18節)ということです。

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